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覚醒した人の時間の感覚の変化|急がない人の内側で起きていること

待合室で、予約の時間をとっくに過ぎても、まだ名前が呼ばれない。

周りの人は、何度も時計を見て、ため息をついて、スマホをいじっては顔を上げる。

そんな中に、ひとりだけ、ずっと同じ姿勢で本を読んでいる人がいる。

腕時計もちらりとも見ない。

イライラした空気もまとっていない。

ただ、そこにいる。

そういう人を見かけると、不思議な気持ちになるものです。

この人の中では、いま、どんな時間が流れているのだろう、と。

同じ空間にいるはずなのに、まるで違う時計の中で生きているように見える人がいます。

外側では同じ秒針が刻まれているのに、その人の内側だけは別のリズムで動いている。

そんな印象を受けるのです。

この記事では、そうした「時間との関係が変わった人」に共通する5つの感覚の深掘りを紹介しています。

動画だけでは触れきれなかった2つの感覚についても、この記事のなかでお伝えしています。

▼ ショート動画はこちら
覚醒した人の時間の感覚の変化5選


1. 過去と未来への執着が消える

時間の感覚が変わるとき、最初に起きると言われている内側の変化についてのお話です。

スピリチュアルな視点では、心が過去や未来に引っ張られている状態は、エネルギーがいまここから漏れている状態だと言われています。

昨日の失敗を思い返したり、来週の予定を心配したり。

体は今この場にあるのに、意識はずっと別の時間軸を行き来している。

その分散していた意識が、ふっと「今」に戻ってきたとき、時間に追われる感覚そのものが薄れていくのだそうです。

過去への後悔も、未来への不安も、突き詰めれば「今ここにはない出来事」を相手にしているということ。

存在しないものに心を奪われているあいだ、目の前の現実は静かに通り過ぎていきます。

たとえば、夕飯の支度をしているとき。

包丁の音、玉ねぎの匂い、湯気の立ち上がり方。

そのひとつひとつに意識が向いている時間は、不思議と「早く終わらせなきゃ」という焦りが消えていることがあります。

過去の出来事を反芻していたはずの頭の中が、いつの間にか静かになっている。

そういう瞬間が、おそらく「今に戻る」ということなのだと思います。

普段の生活に取り入れるなら、難しいことは要りません。

一日のうちで一回だけ、目の前のことに意識を向ける時間を作ってみる。

歯を磨くとき、お茶を淹れるとき、洗濯物をたたむとき。

どの場面でも構いません。

「ああ、今これをしているな」と心の中でつぶやくだけで、意識がふっと今に戻ります。

数日続けてみると、過去や未来をぐるぐる考えている時間が、少しだけ短くなっているのに気づくはずです。

完璧にやろうとしなくていい。

気づいたときに、戻ってくる。

その繰り返しだけで充分なのですね。

過去と未来から自由になることは、時間そのものを手放すことではなく、今この瞬間をもう一度ちゃんと味わい直すこと。

そういうことなのだろうと、振り返りながら受け取っています。


2. 時間の流れが伸び縮みする

朝、ふと夢中になってノートを広げる。

書いて、消して、また書いて。

顔を上げたら、窓の外がもう傾いた光に変わっている。

そういう瞬間に、人は「時間って一定じゃないんだな」と気づかされます。

スピリチュアルな世界では、時間は本来一定ではなく、意識の状態によって伸び縮みするものだと言われています。

物理的には同じ60分でも、退屈な会議の1時間と、好きな人と話している1時間では、明らかに密度が違う。

これは誰もが経験的に知っていることですが、覚醒が深まると、その伸び縮みの幅がもっと大きくなっていくのだそうです。

意識の周波数が変わると、時計の針の進み方とは別のところで、自分なりの時間が流れ始める。

それは「時間を支配する」というよりも、「時間と一緒に呼吸する」という言い方のほうが近いように思います。

私自身、何かに没頭していて、気がついたら何時間も経っていた経験は何度もあります。

そういうときの自分は、時計を見ていなかっただけでなく、「時間」という概念そのものが頭から消えていた。

時計の上では長い時間が流れているはずなのに、自分の感覚としては一瞬。

あの不思議な感覚に出会うたび、人は時計の外側にある時間に触れているのではないか、という気がしてきます。

時計が消えた時間の中にいるとき、人はいちばん自分らしくいられる。

そう言えるのかもしれません。

試しに、「時計を見ない時間」をほんの少しだけ作ってみる。

休日の朝でも、寝る前の30分でも構いません。

スマホの時計表示を伏せて、ただ目の前のことに向かう。

最初は何度も時間を確認したくなるはずです。

それでも続けていると、ある瞬間、時計のことを完全に忘れている自分に気づく。

その「忘れていた」という感覚こそが、時間が伸び縮みする世界の入り口なのだと思えます。


3. 焦りや急かされる感覚がなくなる

外側の状況に関係なく、内側に深い穏やかさを保てる人がいます。

そういう人の中では、時間がどう流れているのか。

ここではその話をします。

スピリチュアルな視点では、焦りというのは「結果を早く手に入れたい」という意識から生まれるものだと言われています。

結果に意識が向いていると、過程はただの「通過すべきもの」になってしまう。

だから早く終わらせたくなるし、思い通りに進まないとイライラする。

ところが、過程そのものを味わえるようになると、焦るという感覚が成り立たなくなっていくのだそうです。

私は、覚醒した人が焦らない理由は、結果ではなく過程の方をちゃんと見ているから、なのだろうと受け取っています。

ゴールに早く着くことよりも、その道のりで何を感じたかの方を大切にしている。

だから、寄り道も、回り道も、待ち時間も、全部がその人にとっては「過程の一部」になる。

そう捉えると、焦る理由がなくなっていくのも、ごく自然な流れですね。

特に、待たされている場面でその人の本当の時間感覚が見えるように思います。

レジの列が長いとき、電車が遅れているとき、相手の返事が遅いとき。

そういう「思い通りにならない時間」に、イライラしている様子がない人がいる。

何かに耐えているわけでもなく、無理に平静を装っているわけでもない。

ただ、その待つ時間の中に、普通にいる。

そういう人を見るたび、この人は結果ではなく今この瞬間の方を見ているのだろうな、と気づかされます。

もし日常の中に置くとしたら、「待たされたとき」を練習の機会にしてみる、というやり方があります。

信号待ち、電子レンジの数十秒、エレベーターが来るまでの時間。

そういう小さな「待つ」に出会ったとき、スマホを取り出さずに、ただ立っていてみる。

最初は手持ち無沙汰でそわそわするはずです。

それでも数日繰り返してみると、その数十秒の中に、思った以上にいろんな音や景色があったことに気づく。

待つ時間が、消化すべき空白から、ちゃんと味のある時間に変わっていく。

その変化が、焦りを手放していく入り口になっていくように思えます。


4. 朝と夜のエネルギーの違いを感じる

夜明け前のしんとした空気と、夜11時の空気。

同じ場所で同じように深呼吸しても、両者がまったく違うものだということは、考えなくても体が知っています。

スピリチュアルな考え方では、一日の中には宇宙のリズムに沿った時間帯のうねりがあると言われています。

夜明け前のしんとした空気には、新しいエネルギーが満ちていて、日没後には一日を内側に収めていく力が流れている。

時計の上では同じ60分でも、魂への響き方が違うのだそうです。

これは、頭で理解するよりも、体で感じる方が早い話ですね。

朝の空気には、これから何かが始まっていく軽さがあり、夜の空気には、一日を引き受けてくれる深さがある。

そのどちらも大切で、どちらも代わりがききません。

時間帯ごとのエネルギーを感じ取れるようになると、自分にとっての「いい時間」と「無理をしている時間」の区別もついてきます。

朝に強い人もいれば、夜に冴える人もいる。

それは性格の問題ではなく、その人の魂が共鳴しやすい時間帯がそれぞれ違うということ。

そう捉えると、誰かと比べる必要もなくなってきます。

ここから何か始めるなら、自分にとって「一番気持ちのいい時間帯」を一つ見つけてみる。

それが早朝か、夕暮れ時か、深夜か。

その時間に、何か一つ大切なことを置いてみる。

朝の人なら、5分だけ早く起きて窓を開ける。

夜の人なら、寝る前にお茶を一杯飲む。

たったそれだけで、一日の中に「自分のリズム」が生まれてきます。

すべての時間帯を完璧に使おうとしなくて大丈夫です。

自分が一番自分でいられる時間帯を、大切にする。

そこから少しずつ、宇宙のリズムと自分のリズムが揃ってくるように感じます。


5. 老いへの恐怖が消えていく

時間の感覚が変わったとき、年齢との関係もまた変わっていく。

ここからはそんなお話です。

スピリチュアルな視点では、肉体は時間とともに変化していくけれど、魂そのものは時間の外にあるものだと言われています。

年齢を重ねるということは、魂が削られていくことではなく、魂が経験を重ねていくこと。

その視点に立てたとき、誕生日は怖いものではなくなり、むしろ穏やかな喜びに変わっていくのだそうです。

時間を「奪われるもの」だと受け取っている人にとっては、年齢を重ねることは喪失でしかありません。

けれど、時間を「魂を磨いていく素材」だと受け取れるようになると、一年経つことは、それだけ深さが増すこと。

同じ「歳を取る」という現象でも、内側でどう受け取っているかで、まったく違う体験になりますね。

「歳を重ねるのが上手だな」と感じる人には、ある共通点があるように思います。

年齢の話を悲観的にしない、ということ。

「もうこの歳だから」と諦めるのでもなく、「まだまだ若い」と無理に張り合うのでもない。

ただ、「今、この年齢にいる自分」を、そのまま受け取っている。

その姿勢のあり方が、とても穏やかで、見ているこちらまで肩の力が抜けるのです。

試しに、自分の年齢について話すときの言葉を、少しだけ意識してみる。

「もう○歳」を「今○歳」に変えてみるだけで構いません。

たったそれだけで、自分が時間に対して取っている立ち位置が変わります。

時間に追いかけられている自分から、時間と並んで歩いている自分へ。

最初は言葉だけの変化です。

それでも、口にする言葉が変わると、不思議と内側の感覚も変わってくるように思えます。

年齢は、戦う相手ではなく、一緒に歩いていく道連れのようなもの。

そう受け取れる日が一度でもあれば、そこから少しずつ、何かが軽くなっていく気がします。


ここからは、動画では紹介しきれなかった内容をお伝えします。


6. 「予定」と「計画」の意味が変わってくる

休日の朝、「今日はあれとこれをやる」と決めていた。

でも窓の外がやけに気持ちのいい光だったから、予定を全部やめて散歩に出かけた。

そういう選択ができる人は、予定に「使われていない」のだろうと思います。

スピリチュアルな視点では、予定を立てるという行為は、本来「未来を縛るため」ではなく、「今を生きやすくするため」のものだと言われています。

ところが多くの人は、立てた予定に自分が振り回されるようになり、予定通りにいかないことで自分を責めてしまう。

覚醒が深まると、予定はあくまで「目印」になり、それに支配されることがなくなっていくのだそうです。

予定はもともと、未来のために今を準備するための道具のはず。

なのに、いつの間にか、今を縛るための鎖になっていることがある。

「やらなきゃ」が増えていくほど、目の前のことを味わう余裕が減っていく。

その関係を、もう一度ひっくり返してあげてもいい段階に来ているのかもしれません。

予定を立てたのは自分。

予定を変えてもいいのも自分。

その当たり前のことが、すんなりと体に染みている人は、時間の主導権を自分の側に持っている人ですね。

たとえば一日の中に、「何も決めない時間」を15分だけ作ってみる。

その時間にやることを、その時間が来てから決める。

最初は何をしていいかわからず落ち着かないはずです。

それでも続けていると、自分の内側から「今はこれがしたい」という声が聞こえてくる瞬間がやってきます。

その声を受け取る感覚が育ってくると、予定との関係が少しずつ変わってくる。

予定に従う一日から、自分の感覚に従いながら予定を使う一日へ。

その移り変わりが、時間の主導権を取り戻していく道になっていくように思えます。


7. 「いつかやりたいこと」が「今やること」に近づいてくる

時間の感覚が変わってきたサインとして、よく現れる変化があります。

「先延ばし」の感覚が、自分の中で薄くなっていくこと。

スピリチュアルな視点では、「いつかやりたい」と思っていることを、本当はいつでも始められるのに先延ばしにしてしまうのは、未来というものを実体のあるものだと信じているからだと言われています。

未来がまだあると思っているから、後回しにできる。

けれど、未来は今この瞬間の連続でしかないと気づいたとき、「いつか」と「今」の境目が、ふっと薄くなっていくのだそうです。

「いつかやろう」と先送りにしていたものは、たいてい、本当はやりたいことだったりします。

それを後回しにしているうちに、いつの間にか「もう間に合わない」と諦めてしまうこともある。

でも、本当のところ、「いつか」は永遠にやってきません。

やってくるのは、いつでも「今」だけ。

たとえば、ずっと読みたかった本を、ようやく手に取った夜。

ずっと連絡を取りたかった人に、思い立って電話をしてみた午後。

そういう「気がついたら動いていた」という瞬間が増えてきたら、それは時間の感覚が変わり始めているサインですね。

もし試してみるなら、「いつかやりたいことリスト」の中から、5分でできるものを一つだけ選んでみる。

ずっと聴きたかった曲を一曲だけ聴く。

ずっと書きたかった手紙を一行だけ書く。

完成させなくて構いません。

「始めた」という事実だけが、未来を今に引き寄せます。

その小さな一歩が積み重なっていくと、「いつか」という言葉が、自分の中で少しずつ出番を減らしていく。

そういう変化が、静かに起こり始めるように思います。


最後に

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

この記事を書きながら、改めて受け取り直したことがあります。

時間の感覚が変わるというのは、何か特別な能力が開花することではなく、もっと地味で、もっと日常的な変化なのだ、ということ。

時計を見ない夜が一回あった。

待たされてもイライラしなかった瞬間があった。

夕飯の支度をしながら、過去のことを考えていない自分にふと気づいた。

そういう小さな変化の積み重ねが、いつの間にか、その人の時間との付き合い方を変えていきます。

私は、覚醒という言葉を、特別な人だけのものだとは受け取っていません。

そうした小さな変化に、ちゃんと気づける感性を持っている人は、もうすでにその入り口に立っている。

そう信じています。

魂が永遠だとか、宇宙のリズムだとか、そういう言葉を構えずに受け取れる人は、すでに、時計の外側にある時間の存在を、どこかで感じ取っているはずですね。

時間に追われていた毎日の中に、ふっと「あれ、今日は穏やかだったな」と振り返れる夜がある。

それだけで、もう何かが始まっています。

時計の針は、たぶんこれからも同じ速さで進んでいきます。

それでも、その針との関係は、自分の内側次第でいくらでも変えていける。

急がなくて大丈夫。

立ち止まっても構いません。

その日の自分のリズムで、今日という一日を歩いていく。

ときどき、空を見上げて、雲がどっちに流れているかを確かめる。

それくらいの速さで生きていく日があってもいい。

時間は、奪っていくものではなく、贈られているもの。

そう受け取れる夜が一度でもあれば、その感覚は、きっと少しずつ、日常の中に根を張っていくのだろうと思えます。


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