「真実が残酷だというなら、嘘は優しいのだろう」つまり、優しさは嘘である。
「正直に言って。」
この言葉、結構怖い。
「私の料理どうだった?」
「正直に言って。」
目の前にあるのは、
ハンバーグなのか、
炭なのか、
もはや判別不能な物体。
ここで、
「正直に言うと、炭を食べている気分でした。」
なんて言える人間は、
なかなかの強者である。
普通の人なら、
「……めっちゃ美味しかったよ!」
と言う。
嘘である。
でも、その嘘によって、
料理を作った本人が嬉しそうに笑っている。
じゃあ、この嘘は悪なのだろうか。
それとも、
優しさなのだろうか。
真実って、そんなに偉いのか?
子どもの頃から、
「嘘をついてはいけません。」
と教えられてきた。
正直者でいなさい。
悪いことをしたら謝りなさい。
人には誠実に接しなさい。
どれも素晴らしい。
私も、
基本的には嘘をつかない方がいいと思う。
ただ、大人になって思う。
真実って、結構エグくない?
「その髪型、似合ってないよ。」
「その仕事、向いてないんじゃない?」
「その服、ちょっと太って見えるよ。」
「その話、正直あまり面白くない。」
全部、
もしかしたら真実かもしれない。
でも、
真実だから言っていいのか?
というと、
そうでもない。
正しいことを言えば、
必ず相手が幸せになるわけではない。
むしろ、
正しいからこそ、
人を傷つけることもある。
真実というのは、
時々、
ナイフみたいなものである。
切れ味が良すぎる。
「正直なだけ」は免罪符ではない
たまに、
「俺は正直なだけだから。」
という人がいる。
これ、
便利な言葉である。
「太った?」
「うん、太った。」
「その服似合ってる?」
「正直、微妙。」
「この企画どう?」
「面白くない。」
そして最後に、
「俺、正直だから。」
いや、
聞いてない。
正直であることと、
無神経であることは違う。
「本当のことを言っただけ。」
と言われても、
相手を傷つける必要がなかったのなら、
それはただの攻撃である。
包丁で人を刺して、
「でも切れ味が良かったから。」
と言っているようなものだ。
意味が分からない。
だから、
「真実を言うこと」と「優しくすること」は、必ずしも一致しない。
「大丈夫」は世界で一番便利な嘘
個人的に、
「大丈夫」という言葉はすごいと思う。
本当に大丈夫なとき。
「大丈夫。」
全然大丈夫じゃないとき。
「大丈夫。」
仕事が限界でも、
「大丈夫。」
財布の中身が限界でも、
「大丈夫。」
人間関係が限界でも、
「まあ、大丈夫。」
全然大丈夫じゃない。
でも、
その一言で相手を安心させることができる。
「大丈夫」と言われた側も、
少し安心する。
言った本人は、
心の中で、
「全然大丈夫じゃねえよ。」
と思っているかもしれない。
それでも、
相手を不安にさせないために、
「大丈夫」と言う。
これを全部、
「嘘だから悪い」
と言ってしまっていいのだろうか。
私は、
そうは思わない。
優しい嘘は、人を救うこともある
例えば、
仕事で大きな失敗をした人がいる。
本人は落ち込んでいる。
そこで、
「お前は仕事ができないから失敗したんだよ。」
と事実を並べ立てる。
たとえ一部が正しかったとしても、
今それを言う必要があるのか。
それより、
「今回はうまくいかなかっただけだよ。」
「次はもっと上手くできるよ。」
と声をかける。
これは、
完全な真実ではないかもしれない。
でも、
その言葉によって、
もう一度立ち上がれる人がいる。
嘘が人を救うことだってある。
だから、
嘘=悪
と単純に決めつけることはできない。
でも、全部嘘で済ませるのも違う
ここは難しい。
「じゃあ、優しい嘘なら何でもいいじゃん。」
となると、
それも違う。
友達が明らかに危険なことをしている。
それなのに、
「まあ、大丈夫でしょ。」
と言う。
これは優しさではない。
ただの、
見て見ぬふり。
明らかに間違った方向へ進んでいる人に、
「そのままでいいよ。」
と言い続けることも、
本当の優しさとは言えない。
時には、
嫌われる覚悟で本当のことを言わなければならない。
だからこそ難しい。
嘘をつけば優しいわけでもない。
真実を言えば正しいわけでもない。
大切なのは、
「今、この人に何を伝えるべきなのか。」
を考えることなのだと思う。
言わないことも優しさ
大人になると、
「思ったことを全部言う必要なんてない」
ということに気づく。
頭の中に浮かんだことを、
全部口から出していたら、
社会生活はかなり厳しい。
「今ちょっとムカついた。」
「その話あまり興味ない。」
「今日ちょっと臭い。」
「その服、微妙。」
知らんがな。
人間の頭の中には、
言わなくていいことが大量に浮かぶ。
それを一度、
脳内で審査する。
「これは言うべきか?」
……。
「いや、言わなくていいな。」
これも立派な優しさだと思う。
すべての本音を公開する必要はない。
SNSに投稿する必要もない。
本人に伝える必要もない。
心の中にそっとしまっておけばいい。
心の中にゴミ箱を設置する。
そして、
そっと削除。
これで平和が保たれる。
人間関係は、真実だけでは成立しない
考えてみれば、
普段の生活も、
ちょっとした建前だらけである。
「お疲れさまです。」
本当に疲れているかは知らない。
「また今度ご飯行きましょう!」
本当に行くかは分からない。
「元気そうですね!」
相手が本当に元気なのかなんて、
見た目だけでは分からない。
でも、
こういう言葉があることで、
人間関係はスムーズに回っている。
もし、
「今日から全員、本音しか言ってはいけません」
という法律ができたら、
どうなるだろう。
「その会議、意味あります?」
「その企画、面白くないです。」
「その服、似合ってません。」
「その話、興味ないです。」
「あなたのこと、別に好きじゃないです。」
会社、崩壊。
友達、消滅。
家族、険悪。
社会、
終了。
だから人間は、
少し嘘をつく。
そして、
その嘘によって、
人間関係が保たれていることもある。
優しさは嘘なのか?
最初の言葉に戻ろう。
「真実が残酷だというなら、嘘は優しいのだろう。」
つまり、
優しさは嘘である。
私は、
これは半分正しくて、
半分間違っていると思う。
優しさそのものが嘘なのではない。
優しさの中には、「真実を全部言わない」という選択がある。
これなのだと思う。
相手を傷つけるだけなら、
言わない。
今言う必要がないなら、
言わない。
相手が立ち上がるために必要なら、
少し言葉を丸める。
本当に相手のためになるなら、
嫌われる覚悟で伝える。
これが、
人間関係なのではないだろうか。
最後に
私は、
「嘘をつくな」という言葉を否定したいわけではない。
嘘によって、
誰かを騙したり、
傷つけたり、
自分だけ得をしようとするのは、
当然よくない。
ただ、
誰かを守るための嘘まで、悪と決めつけなくてもいい。
「大丈夫だよ。」
本当は大丈夫じゃない。
「似合ってるよ。」
本当はちょっと微妙。
「また今度行こう。」
たぶん行かない。
そんな小さな嘘が、
誰かの一日を少しだけ明るくすることもある。
だから私は思う。
真実だけが正義ではない。
時には、
少しだけ真実を隠す。
時には、
少しだけ言葉を丸める。
時には、
何も言わずにそっとしておく。
それも、
人に優しくする方法なのだと思う。
そして最後に、
一つだけ。
もしあなたが、
誰かから、
「大丈夫?」
と聞かれたら、
本当に大丈夫じゃないときは、
「大丈夫じゃない。」
と言ってもいい。
優しい嘘をつくことも大切だけど、
自分まで嘘で守り続けなくていい。
誰かに優しくするために、
自分を犠牲にする必要なんてない。
だから今日くらいは、
本音を言おう。
「疲れました。」
「しんどいです。」
「もう寝たいです。」
「明日仕事行きたくないです。」
これは嘘じゃない。
そして、
そんな自分に最後くらいは、
「今日もよく頑張った。」
と言ってあげよう。
それくらいの優しい嘘なら、
自分についたっていい。
人生、真実だけで生きるには、ちょっと残酷すぎるから。
無敵社会人より。
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考え直せ!
まだ遅くない。
本当にこの記事を読みたいのか?
変わりモンのアンタ嫌いじゃないよ💛