この世のなかを愛おしいと思えるならばおのずと…
はじめに
今年の春はことのほか咲きほこる花々を美しいと感じられるし、鏡のように落ち着いた海のむこうに薄ぼんやり見える山すそのカーブすら見惚れるほど。忙しいときほどたまに訪れる身近な風景への気づきがあってもそれらをゆっくり眺める機会がなかなか訪れずにいる。
きょうはそんな話。
朝の散歩
このところできていなかった散歩。この時期は夜明けが早く、以前ならば出勤前でもやっていたのに、雨音を口実にサボってしまい、室内でルーチンの運動だけで済ませてしまいがちに。きょうは目覚めるとカーテンの細いすき間がとても明るく、晴天を予想させる。早朝の外がどのくらいの気温かすら予測できないほど散歩から遠ざかっていたとわかる。これならだいじょうぶと薄手の上着を羽織り散歩へ。
昼間は暖かいというより、すでにすこし動いただけで汗ばんでくるほど。それと比べると早朝の空気は冷たく澄んでいる。息を吸い込むとからだのなかがすっかり入れ替わる気分。
久々の散歩
晴れるのは忙しい日、ようやくとれた休みの日は1日じゅう雨。そんな4月だった。忙しくしているのは人から頼まれる仕事があるわけで、それはそれでいいし構わない。とはいえ、息を抜きたくなるのはそんな時。ふとできたすきま時間でちょっと外に出て、いい風景だなと思える休息のひとときがあれば、バランスがとれる。
まだ、こうして自然の風景をながめるだけの余地が街なかのこの地域には残る。川沿いのおかげで開けて、息を継げるゆったりした風景を見渡せる。
しかしここへ移り住んだばかりの3年前と比べると区画整理が進み、あきらかに平らに近かった地平線は、新たなビルの出現で角々になりつつある。つぎつぎと四角くコンクリートで埋めることに余念のない作業が急ピッチで進んだ。ターミナル駅に近づくほど真上を見上げないと青い空のスペースは狭まってきた。
まだ空き地が
おそらくこの地の以前を知る人々は驚くかもしれない。もはやこのあたりのむかしの様子を知れる手がかりはほとんどなくなった。以前のこの駅の周辺は空き家が目立ち、駅裏は使われていない河川施設などがひろがる場所だった。それが区画整理により整備され、むしろ余剰地が生まれるほどに。
その空き地は買い手は付いており小さな看板をかかげている場所はある。そのなかで上に記した広めの土地には高層マンション。つぎに広い場所と川沿いの空き地にはそれぞれ公園ができた。川べりに残る空き地には屋外を活用したカフェなども計画されている。たしかにこのあたりにはこうした安心して遊べる公園や佇める場所が見当たらなかった。
おわりに
すでにわたしはこの国の平均よりは上の年齢。つぎ、いやその先の世代に自分たちの使ったものをかたづけて渡す段階。前世代から受け継いだものをのちの世代の人々が愛おしいと思えるまま渡すか、手を煩わせないかたちで残せたらいい。負担をかけるつもりは毛頭ない。いっそのこと自己責任でいったんまっさらにしておくとよいのかもしれない。
こちらの記事もどうぞ
広告
