成果を記録するために結果の写真を撮る・画像で残す:そこからはじまり見えてくること

はじめに
大学での研究サポートのしごと。実験に関して結果が出ようとそうでなかろうと操作、結果、考察をノートに記し、生じた物質を保存するか、残せないものは撮影して画像で残す。のちにたとえば論文をまとめる際に手順をたどりつつ確認して実験のすじみちに遺漏がないか見直すため。あるいは論文投稿後の問い合わせに答えるためでもある。残した資料が日の目を見る。
きょうはそんな話。
たしかめのために
実験とはかならずうまくいくとはかぎらない。試行錯誤して適した条件をみつけていく。こうしてやはりまちがいないとさらにもう一度。すくなくともおなじことを可能なかぎり3回ほどはたしかめる「再現性」がないとおちつかない。
とくに予想だにしない興味深い結果が出たときにはさらに何回かたしかめる。とんでもないミスをやって出た結果でないか、操作の過程をチェックする。それでもなお予想しない結果がつづくならば、どこかおかしくないか、試薬を変えたり、おなじ研究グループのべつのヒトに再現してもらったり。それでようやく事実だと納得。これはよい論文の兆候でもある。
たとえ失敗しても
失敗を積み重ねたとしても、打ち捨てるようなことはしない。それさえ丹念にノートにしるしていく。1日1日やったことはむだにはならないし、それさえ真実を物語っている。なぜ実験がうまくいかないかの理由は必ずあるもの。
のちに成功し、なんらかのことを究明できたときにはおそらく多くの失敗の連続の原因が知れる。その過去をふりかえり、失敗の原因をたしかめることができた段階こそ、究明できた新事実が活きてより強固なものになる。
データをとくにかく残す
失敗の連続だと思っていたなかに、じつはだいじな事実がかくれていたなんてことも。したがってデータをしっかり記録し、残すことはなによりたいせつ。日々努力をかさねて積み重ねたことになにひとつむだなものはないと知れる。
そしてその際にいちばん気をつけたいのは客観的なデータの形にして残すこと。主観を入れてしまうと真実は見えなくなりがち。しかもそれをのちに見返す際に、主観をいれて変にねじまげて解釈してしまっては意味がない。あくまでも写真や数値などありのままを残す。
撮影するには
写真に関しては以前はネガフィルムやリバーサルフィルムで撮影していた。これは基本的に現像するまですぐに撮影できているか確かめられない。地方なのでリバーサルフィルムのうちコダックなどの海外産フィルムなどはしかるべき現像所にもちこむ。現像やダイレクトプリントなどがすぐにできずに手間や日数がかかった。
つまり撮影できているかどうかしばらく確かめられない。撮影時にカメラの不具合でなんと実験すべてが撮影できていなかったという情けないことも。そのために時間のかかる実験を再度何日もかけてやり直しを経験した。
おわりに
実験したことはかならず明確に記録する。いまやいくつか形式のととのった記録方式のノートならば特許の専願権の記録としてふさわしいことがあきらか。そのくらいのこころづもりで学生時代から残していく習慣を養うといい。
これは時間をむだにしないで成果を積み重ねていくうえでかならず糧になり、効率よく成果を出すことにつなげていけるから。
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