必要な分は行き渡る、、、はず
今日は「足りない」という感覚について、ずっと考えていました。
世の中の総量は決まっている、という話をよく耳にします。
資源も、お金も、チャンスも限られている。だから取り合いになるのだ、と。
そう聞くと、たしかにその通りのようにも思えます。物質の総量は、きっと有限です。
でも、そこから一歩進んで考えてみました。
その限られた総量が、みんなに不足なく行き渡ることはないのだろうか、と。
これは正しいとか間違っているとか、そういう話ではありません。
統計も数字もありませんし、検証もできません。
信じるかどうか、という領域の話です。
それでも、今の私の結論はこうです。
「必要な分は不足なく行き渡る。ただし、本当に必要なら。」
ここが大事なのだと思います。
“本当に”必要かどうか。
食事や住まい、車。
どのくらいの生活レベルを求めるのか。
物質的な豊かさだけでなく、精神的な満足感も含めて、人それぞれ基準は違います。
仮にその基準が高かったとしても、本当に必要なものなら、手にできるのではないか。
そんな気がしています。
一方で、「なんとなく欲しい」というものもあります。
CMで見たから。
誰かが自慢していたから。
周りが持っているから。
そうやって欲しくなったものは、実は自分の内側から湧いてきた欲求ではないのかもしれません。
周囲に思わされているだけかもしれません。
そういう欲求が増えると、「足りない」という感覚が強くなる気がします。
みんなが同じものを欲しがれば、当然ぶつかります。
そこで不足が生まれる。
でも、本当に必要なものはどうだろうか。
人の価値観は驚くほど違います。
静かな暮らしが必要な人もいれば、挑戦の連続が必要な人もいる。
広い家が安心につながる人もいれば、小さな部屋で十分な人もいる。
本心からの欲求は、案外うまく棲み分けられるのではないか。
だから不足は起きにくいのではないか。
そんなふうに感じています。
歪みのない、自然な欲求に従ったとき。
その人に必要な分は、世界からきちんと与えられる。
そう考えると、少し肩の力が抜けます。
宗教のように聞こえるかもしれませんし、証明もできません。
それでも私は、不足を恐れながら生きるよりも、「必要な分は行き渡る」と信じて生きたいと思います。
安心して、自分の本当の欲求を見つめながら。
今日も、足りないものを数えるのではなく、本当に必要なものは何かを静かに考えてみようと思います。
