読まれる「自分史」は「削る」に徹するべし!~記憶のフシギ~
自分にとっては価値がある。
価値がある、と思っていること。
「史」と名付けて書き残す選択肢に舵を切った以上、「他人に読まれる」ことを意識しなければいけません。
と、ワタシは思います。
自分の歴「自分の人生の時間の流れ」を、自分の史「書き記す」として世に出そう、読んでもらおうと思ったのなら。
メールでも電話でも会話でも…
「長ったらしいのは嫌われる」
「ヒトの時間を無駄に浪費させる」
と思えば、ひとたび「自分史」というアウトプット、他人の目を意識した出力においては、「面白いか、役立つか」のどちらかを読者に提供すべし。
と思うのです。
今日も一日中、実家の「荷物整理」をしていると、頭の中には、
・自分が価値があると思っている、思っていたこと
・他人にとっては価値の無いもの
・時間に制約がある条件の上では、もはやどうでも良い…と思ってしまうもの
そんな選択を、一日中していたら、仕事でご縁のある「自分史作り」も、そのようなドライな目線も必要なのだな、と思った次第です。
自分史は千差万別、気にしないでください。
お後がよろしいようで。
いいなと思ったら応援しよう!
ご縁があって「チップ」いただけたらば、記憶力UP/自分史の作り方など、コンテンツの拡充やオンラインコンテンツへの投資へと活用させていただきます!
どうぞ、よろしくお願いいたします!