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名言・格言の「センターピン/中庸どころ」~記憶のフシギ~

「急がば回れ」と「善は急げ」
「人を見たら泥棒と思え」と「笑る世間に鬼はない」

ビジネスの世界で、いつもこの両端の言葉、指示、アドバイスに右往左往していた記憶があります。

特に、ベンチャー風のワンマン経営者の下では、毎日、毎時間ごとに異なる言葉に翻弄された記憶があります。

ビジネス書の類も、その時の流行り、時流、米国からの最新ナンチャラ…で、都度、「赤だ!、いや白だ!」とか、「左脳だ!いや右脳だ!」と、煽っては売上を伸ばしていることでしょう。
これは、メディアとしての商売だから、当然ですわな。 

孔子と「中庸」
「中庸」は、孔子の思想と深く関わる言葉です。『論語』には、孔子の言葉として「中庸の徳」に関する一節が見えます。一方で、思想書としての『中庸』は、孔子の孫である子思の著と伝えられ、『礼記』の一編から、のちに四書の一つとして重んじられるようになりました。

アリストテレスの「中庸」とは?
古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスも、「中庸」を徳の中心となる概念として述べています。アリストテレスの倫理学では、過大と過小の両極端を悪徳とし、そのどちらにも偏らない「正しい中間」を見つけ、選ぶことが徳であるとされます。」

「Ojji.jp」https://oggi.jp/7111768


中庸というコトバの表面だけを理解して、何事もその「中間」「真ん中」…と単純に解釈していました、若い頃。

最近、「簡単な単純な言葉ほど、じっくり見つめ直して探究すると、新しい発見、解釈、臓落ちもする」という世界が広がっているわけです。

長生きすると、それなりの知識、知見などを授かって、多少は物事も表面だけでなく、その中核へと疑念を掘り下げていくツールも持ち合わせているようです。

どんな時にどんな言葉を使って、自分に、他人に影響を与えようとするのか?
どんな選択肢をどんなタイミングでアウトプットするのか?

それはつまり、言葉であると同時に、言葉の源泉である「意識」であるのか?

それこそが、ヒトを導くリーダーとしての「品格」だと思うのです。
自分の都合、利益に合わせて、都度格言や名言を引用する。

知識ではなく、ヒトとしての品格。

お後がよろしいようで。

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