「しょせん他人事」は冷たい? / 仕事 / 人間関係 / 完全主義HSPの落とし穴 / 仕事納め / 生きづらさ /HSS型HSP
空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる
孤独な家なき子「すず」に寄り添う
犬のリュウ目線で書かれた
「家なき子」の主題歌
今日は「他人事」について書きます
思い込みと言葉の受け取り方で
人生は違った世界に見えてきます
以前、月に1日だけですが、ボランティアで
孤児院のこどもたちのために奉仕する活動を
数年間続けていました
でも、だんだん苦しくなってしまい辞めました
そんなことをしたって何の役に立つんだろう
その子たちはみんな実の親が恋しいのだから
月に一度、赤の他人と一緒に過ごしたところで
彼らの寂しさは癒えることはないんじゃないか
赤の他人の私が、その子たちのために
何かをしたところで何が変わるのだろう
親に「捨てられた」こどもたちの目が
「置いて行かないで」って無言の叫びのようで
毎回別れ際に重たい気持ちになって
無力感だけが積もって
なんだか自分が偽善者のように思われた…
「ボランティアやってます」ふうな…
完全主義者のHSPってホントに厄介だ
何もしないで寄り添いもしない無関心よりは
出来ることを出来る範囲でしてれば良いのに
沢山寄付した人が偉い訳では無いのに
なんで気持ちが重たくなってしまったんだろう
親に「捨てられた」「可哀想な」子たち全員を
「何とかしてあげたい」って思ってしまってた
それって傲慢なんだって分かっていても
現実に2歳のこどもに別れ際に泣かれると
辛いものは辛い
今、保護猫を一匹、室内飼いしていても
窓の外で自由に羽ばたく鳥を眺めてる後ろ姿に
時々、チクって胸が痛くなる時がある
何でもそうだけど
保護とか善意って完全とか完璧には出来ない
高校生の時のクラスメイトで
あまり好きになれない子が居た
人に対してどこか割り切った印象がして
「冷たい人だなぁ」と感じてた
卒業後私は一見クールな法学部に進学したけど
その子は一見ハートウォーミングな(エモい)
福祉系の大学に進学した
児童福祉施設で働くために
その子のお母様も同じ仕事をなさってた
その子が私に言ったことを時々思い出す
「私のこと冷たいって思ってるでしょ?
福祉の仕事ってね
あなたみたいに情に篤い人には
務まらないんだよ
どこかで『しょせん他人事』って
線引きしないと自分が参っちゃうからね
親の仕事見て、大変な仕事って知ってたけど
誰かがやらなきゃならないって思った
他人事で悩んだりしない私には向いてるんだ」
「やな奴」
高校生だった私には、ちょっと理解出来なくて
馬鹿にされたようで内心かなりムカついた
でも、その時の会話のことは
とても大事なことを教えてもらった気がして
ずっと覚えていた
同じことは
カウンセラーや医師にもあてはまる
弁護士もそうだし
他者の課題に深く関わる職業には
「しょせん他人事」という線引きが必要だ
クールヘッド but ウォームハート
クライアントに共鳴して境界線が無くなって
他人の問題を自分の問題としてしまうことは
優しいのではなく傲慢
自分の責務を果たすことから遠くなる
自分の立場を間違えないために境界線は必要だ
それが出来る人は
相手を切り捨てているのではない
痛みを抱える同じ人として受け容れつつ
感情を挟まずにありのまま相手を傍観する
そのうえで事実を冷静に公平に把握する
どんな人のことも
感情を入れずに単に他者という「人」として
それ以上を把握しないことが求められる
他者の課題に己の感情を介入させるような
「同情」は傲慢だから
高校生の時に
福祉の職業を選択した子は知っていたのだ
今頃きっと、親に「捨てられた」
「可哀想な」こどもたちのために働く
世のため人の為に役に立つ大人になって
社会を支えていることだろう
一見冷たそうなその人は
親に「捨てられた」こどもたちのことを
「捨てられた」とも「可哀想」とも思わない
そう思うことは
その子たちへの侮辱になりかねないから
どんな人のことも同じ人間として接する
「同情するなら金をくれ」
拠り所にならない感情よりも
確実な支援は金(現実的な支援)なのだ
ボランティアを否定してるのでは無い
ボランティアを続けられるほどの
クールヘッド&ウォームハートを
私はその分野では持ち得て無かったのだろう
そして職業として取り組んでる方々の責任感は
福祉で食い扶持を得ている揺るぎない「自負」
同情して辛くなって
抱えきれずに放り投げてしまえば共倒れとなる
職業には向き不向きがあるという話を
何回か記事にしてきましたが
仕事で責任を果たすためには
「優」柔不断よりも「冷」静な判断
「優」しさよりもブレない「冷」たさが
必要なこともあるのかもしれません
優しそうな人が「優しい」とは限らず
冷たそうな人が「冷たい」とも限らない
耳障りのよい言葉が「優しい」とは限らない
友達ではなかったので
もう会うことも無いけれど
友達だった子よりもこころに残るのは
そんな「やな奴」だったりする
愛の対極は無関心
苦手だったり嫌いだったことは
好きなことと同じくらいこころに残る
今はちっともその子のこと
「やな奴」と思ってない
冷静で大人びてた「やな奴」に
私もやっと追いついたのかもしれない
善意を「偽善」呼ばわりする人は
「やな奴」になりきれておらず
他者との境界線が持ててない状態なんだろう
他者と自分の間には
自分の人生、仕事、生き方、日々の選択
自分自身であるために、生きていくために
境界線があるほうが「参った」りしなくていい
それを私に教えてくれた「やな奴」さん
有難う(ありがとう)
感情移入しやすい「お人好し」が
それを「偽善」と間違えられないように
今日も私は他者との境界線を引く
他者のことは、しょせん他人事
あれ? 文字にすると当たり前のことなんだ
高校生の頃は当たり前のことが分からなかった
他人事と言ってしまうと
無関心のように誤解されてしまうけど
他人事を我が事のようにしてしまう事の方が
逆に迷惑で他人の自由を侵害する
あの頃の「やな奴」に、会ってみたいものだ
本年中は、スキやフォロー下さいまして
ありがとうございました
半年前に始めたときは
半年も続くとは思ってませんでした
飽きっぽいHSS型HSPですし
コメント参加はしておりませんし
そんな「クセ強」な私のnoteを読んで下さって
ホントにありがとうございました
来年もここで記事を書けているのか? ですが
これもひとえに読んで下さる皆様のおかげです
今日、私は仕事納めでした
年明け6日までの10連休が嬉しくてたまらない
今年3月に休職したときはお先真っ暗だった
6月にnoteを始めてなかったら
復職出来ていただろうか?
不思議な一年だったなぁ…
今、休職中で辛い人は
仕事納めも正月もへったくれもないだろう
どんな想いで年を越すのだろう…
新年を迎えると不思議と気持ちが切り替わる
辛い過去を過去として捨ててしまうには
世の中全体が区切りをつけるこの時期は
貴方にちょっと優しく寄り添うかもしれない
そうだといいなぁ…
どうぞ良いお年をお迎えください
