ウクライナと宗教・言語 ~自分との繋がり
旅が趣味だった若い頃、1990年代前半にロシアに滞在していた時、
一か月ちょっとかけてウクライナも回った。
ソ連が崩壊した後で、ロシアも混乱していた。
誰も何を信じて良いのか分からなかった時、多くの人が宗教に走った。
(他国の不幸やインフレを利用して、オウム真理教がロシアの各メディアを買収してTVやラジオを使って毎日いやというほど放送していた。本もたくさん出して、地下鉄で読んでいる人を毎日何人も見た。一度「翻訳のアルバイトを探しています」という日本人に話しかけられて、代わりに施設へ行った人が教祖の写真に気づいて飛んで帰ってきたことがある。)
ウクライナでも新興宗教が出来たり、正教会がいくつにも分かれたりしていた。
その話を聞いたのはキエフで滞在させてもらった家族だった。彼らは敬虔なクリスチャン(正教徒)で、両親ともう大きな子供たちが毎食前に短い感謝の祈りの(聖)歌を2部か3部で歌っていた。
オデッサでもやはり敬虔なクリスチャン一家にお世話になった。そこのパパ(当時30代)は自分の仕事として教会に勤めていたので、私は宗教について色々尋ね、話し合ったりした。何度も「(うちの教会で)洗礼を受けなよ」と誘われたけが、怖いからって断った。
西の端リボフ(現リビウ)にも行った。
言語:鉄道駅で宿泊先探しを自発的に手伝ってくれようとしたおばちゃんとホテルの従業員の女性が標準的ロシア語を話していた以外、ウクライナ語しか話せないか、頑張ってくれてもウクライナ語訛りのまぜこぜロシア語だった。
ポーランドだった場所なので、街もヨーロッパ的、宗教も西のキリスト教、特にカトリックのようだった。正教の寺院もあるけれど、他の教会に比べて少なかった。
夏なのに冷たい雨が降っていて、とても暗く寒く体は冷え切ってしまい、品物の少ない店でサイズの合わないデカいコートを買ってしまった程だった。
そんなこんなでロシアにもウクライナにも知り合いがいる。
自分の立場的にも最悪な出来事だ。
それまでも8年間続いていたとはいえ、住民を巻き込む戦闘が続き、
ロシアの軍事作戦で終わらないどころか、火に油(西側)を注いだだけだった。
そして今、日本や西側のTVが多くの事実と異なる報道をしているし、
日本も戦争へ巻き込み世界大戦へ発展させる動きを感じる。
毎日NHKで戦争や武器の話を押し付けて、慣れさせてくる。
今は戦前の気がする。
