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ちょうどいいところで、手を止める

——一番を目指した私が、犬にも自分にも無理をさせない働き方を選ぶまで


ソファーの上で、メイがだらんと身体を伸ばしていた。

十二歳。以前より体力が落ちてきたので、シャンプーの間隔も少し長めにしている。

その日は、目の上の毛が伸びて、視界にかかっているのが気になった。

私はハサミを持ってきて、眠っているメイの目元だけを切った。

途中で気づいて目を開けたけれど、すぐにまた眠った。

顔全体を整えたわけではない。左右の丸みも、きれいにはそろっていない。

視界を邪魔していた毛がなくなったので、そこで終わりにした。

目が見えやすそうになって、よかった。

今の私は、それでハサミを置ける。

昔の私なら、こんなところでは終われなかったと思う。

看護師として働きながら、社会人向けのトリミングスクールに通っていた。

学校では一番上手いと言われ、作業も一番早かった。卒業後は、すぐに学校のお店の責任者を任された。

けれど、少しもうれしくなかった。

本格的な専門学校ではない。ここで一番になったところで、所詮は井の中の蛙だと思っていたからだ。

私は、ドッグショーに出るトリマーのような技術を身につけたかった。

有名な先生のところへ習いに行くと、その技術は本当に芸術のようだった。

先生の仕上がりと自分の犬を見比べては、落ち込んだ。

きれいにはなっている。

でも、少しバランスが悪いかもしれない。ここはもっと時間をかけないと、犬が動いた時に形が崩れる。

できたところより、足りないところばかりを探していた。

私はもともと、かなりの完璧主義だった。

看護師の仕事や日常生活では、少しずつ力を抜けるようになっていた。それなのに、新しい分野へ入った途端、完璧主義がまた顔を出した。

犬たちと過ごす時間を増やしたくて、自分で仕事を取れる技術がほしかった。

だから、必死だったのだと思う。

ただ、完璧を目指した時間が無駄だったとは思わない。

美しくカットするには、犬の身体を安定させ、正しい姿勢で立ってもらう必要がある。

力で押さえつけるのではなく、重心を見て、負担の少ない位置で身体を支える。足を上げる時にも、犬がどこに体重をかけているかで、扱い方は変わる。

その技術を学んだことで、犬を安全に扱う力は格段に上がった。

卒業したばかりのスタッフが爪切りに苦戦していた時には、犬が足を上げやすくなる身体の支え方を教えることもできた。

目指していた場所の途中にいても、その時点で身につけた技術は、すでに誰かの役に立っていた。

それでも私はしばらく、細部まできれいに仕上げることが、プロの仕事だと思っていた。

その考えが変わり始めたのは、学校のお店で、実際に犬と飼い主さんに向き合うようになってからだった。

十歳くらいの、トリミングが大嫌いなミックス犬がいた。

もともとは別の曜日のお客さんで、記録には、暴れすぎてなかなか作業ができないようなことが書かれていた。それでも飼い主さんは、二時間以内での仕上げを希望していた。

たまたま私の曜日に予約が入り、担当することになった。

私は、嫌いな作業は甘めに終わらせること、まずは犬との関係を壊さないことを条件に引き受けた。

実際にやってみると、少しは嫌がったものの、二時間以内で普通に終えることができた。

何度か通ううちに、飼い主さんから新しい希望が出た。

まつ毛を残してほしい。

全身をバリカンで短くするのではなく、足の毛を伸ばしてデザインカットにしてほしい。

技術的には、犬にもう少し我慢してもらえば、できたかもしれない。

けれど、時間は長くなる。その子が最後まで耐えられるかも分からない。

私は、必要になる時間と犬への負担を説明した。

すると飼い主さんは、

「じゃあ、今までどおりでいいです」

と言った。

飼い主さんは、犬の負担を無視していたわけではなかった。

その仕上がりのために、犬がどれくらい我慢することになるのかを、知らなかっただけだった。

そこで私は、技術的にできることと、その犬にしてよいことは、同じではないと気づいた。

希望どおりに完成させることだけが、プロの仕事ではない。

犬が払う負担まで伝え、その子に合う終わり方を、飼い主さんと一緒に選ぶことも仕事なのだと思うようになった。

その考えを、もっとはっきりさせてくれたのは、私の犬たちだった。

昨年の十一月、進行がんだったクウちゃんを亡くした。

最後の頃も、クウちゃんはヨタヨタしながら家の中を歩いていた。ただ、長く立っていることはできなかった。

私はリビングの床に座り、太ももの上でクウちゃんの身体を安定させた。

そこで爪を切り、足裏の毛をバリカンで短くした。

今の私なら、五分ほどで終えられる。

クウちゃんを長く立たせることも、何度も体勢を変えさせることもなく、必要なことだけを済ませられた。

お手入れのあと、歩きやすくなったかどうかは分からない。

踏ん張りにくくなるほど爪や毛が伸びる前に、ずっと手入れをしていたからだ。

ただ、その時に思った。

トリミングをやっていて、よかった。

もう治してあげることはできなかった。

それでも、最後まで家で、できるだけ負担をかけずに暮らさせてあげたかった。

完璧に仕上げるために磨いた技術が、最後には、短い時間で必要なことだけを終える技術になっていた。

もともと私は、自宅で小さなトリミングサロンを開きたかった。

けれど、自宅を仕事場には使えず、店舗を借りて続けるには、毎日ある程度の頭数をこなす必要があった。

別のサロンで少し働いた時、店を維持することと、一頭ごとのペースを守ることが、いつも両立するとは限らない現実も見た。

私自身、予約や固定費に追われるようになれば、犬が嫌がっている時に「あと少し」と頑張らせてしまうかもしれない。

本当はその子には負担が大きいと思っても、飼い主さんに率直な意見を言えなくなるかもしれない。

せっかく覚えた、ちょうどいいところで手を止めるという判断を、店を続けるために手放したくなかった。

そして、クウちゃんの手入れをしながら思った。

すべての飼い主さんが、犬の全身をきれいに仕上げられる必要はない。

爪切りだけ。

足裏だけ。

目にかかる毛だけ。

その家で必要なことを一つでも安全にできれば、犬が歳をとった時や、外へ連れ出すことが負担になった時に、飼い主さんの手元にできることが残る。

もちろん、家でのお手入れが、すべての犬に向いているわけではない。

難しいことは、プロに任せればいい。

自分でできることと、任せること。その境目を知るだけでも、一度やってみる意味はあると思う。

だから私は、自分が何頭もの犬を仕上げるサロンではなく、飼い主さんへ必要な部分を渡す、小さなお手入れ教室を始めようとしている。

プロと同じ高価な道具を、最初からそろえてもらうつもりもない。

家庭で必要な範囲なら、もっと現実的な道具でできることもある。

プロの基準をそのまま家庭へ持ち込むのではなく、その人と犬の暮らしに合う形へ変えて渡したい。

今月、私は学校のお店を辞める。

かつて目指していた場所から降りるような、敗北感はない。

ショーに出る犬を芸術的に仕上げられる人だと、見せるつもりもない。

今の自分に安全にできることを、できる範囲で、背伸びせずに渡していきたいと思っている。

そのために私は、看護師のパートを続けながら、この教室を小さく始める。

急いでお客さんを集める必要はない。

すぐに人が来なくても困らないし、一度に集まりすぎても困る。

自分が苦しくならず、一組ずつ、犬と飼い主さんを見られる人数で始めたい。

求められたことに、何でも応えられる人になりたいわけではない。

自分が引き受けることも、引き受けないことも、自分で選べる働き方にしたい。

教室に来た人が、家で半分までお手入れできるようになり、サロンへ行く回数を減らせたら、それも嬉しい。

けれど、私がいちばん願っているのは、もっと先のことだ。

犬が歳をとった時。

病気になり、外へ連れ出すことさえ負担になった時。

その人が、自分の手で爪を切ったり、足裏の毛を整えたりしながら、

「あの時、習っておいてよかった」

と思ってくれること。

その頃には、もう私の教室を離れていて、私がその言葉を聞くこともないだろう。

それでも、私の知らないところで、犬と飼い主さんの困る時間が少し減っているなら、それでいい。

完璧な仕上がりを求める人には、それを得意とする店がある。

短い時間で、普通に可愛く、犬の負担を少なくしたい人には、別の選択肢があっていい。

安全に犬を触るための技術は必要だ。

けれど、その先に、たった一つの正解があるわけではない。

私は、完璧に仕上げる技術を学んだ。

そして犬たちから、完璧に仕上げない判断を教わった。

これからは、自分が守れる小ささで、その両方を誰かに渡していきたい。





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