ちょうどいいところで、手を止める
——一番を目指した私が、犬にも自分にも無理をさせない働き方を選ぶまで
ソファーの上で、メイがだらんと身体を伸ばしていた。
十二歳。以前より体力が落ちてきたので、シャンプーの間隔も少し長めにしている。
その日は、目の上の毛が伸びて、視界にかかっているのが気になった。
私はハサミを持ってきて、眠っているメイの目元だけを切った。
途中で気づいて目を開けたけれど、すぐにまた眠った。
顔全体を整えたわけではない。左右の丸みも、きれいにはそろっていない。
視界を邪魔していた毛がなくなったので、そこで終わりにした。
目が見えやすそうになって、よかった。
今の私は、それでハサミを置ける。
昔の私なら、こんなところでは終われなかったと思う。
*
看護師として働きながら、社会人向けのトリミングスクールに通っていた。
学校では一番上手いと言われ、作業も一番早かった。卒業後は、すぐに学校のお店の責任者を任された。
けれど、少しもうれしくなかった。
本格的な専門学校ではない。ここで一番になったところで、所詮は井の中の蛙だと思っていたからだ。
私は、ドッグショーに出るトリマーのような技術を身につけたかった。
有名な先生のところへ習いに行くと、その技術は本当に芸術のようだった。
先生の仕上がりと自分の犬を見比べては、落ち込んだ。
きれいにはなっている。
でも、少しバランスが悪いかもしれない。ここはもっと時間をかけないと、犬が動いた時に形が崩れる。
できたところより、足りないところばかりを探していた。
私はもともと、かなりの完璧主義だった。
看護師の仕事や日常生活では、少しずつ力を抜けるようになっていた。それなのに、新しい分野へ入った途端、完璧主義がまた顔を出した。
犬たちと過ごす時間を増やしたくて、自分で仕事を取れる技術がほしかった。
だから、必死だったのだと思う。
ただ、完璧を目指した時間が無駄だったとは思わない。
美しくカットするには、犬の身体を安定させ、正しい姿勢で立ってもらう必要がある。
力で押さえつけるのではなく、重心を見て、負担の少ない位置で身体を支える。足を上げる時にも、犬がどこに体重をかけているかで、扱い方は変わる。
その技術を学んだことで、犬を安全に扱う力は格段に上がった。
卒業したばかりのスタッフが爪切りに苦戦していた時には、犬が足を上げやすくなる身体の支え方を教えることもできた。
目指していた場所の途中にいても、その時点で身につけた技術は、すでに誰かの役に立っていた。
それでも私はしばらく、細部まできれいに仕上げることが、プロの仕事だと思っていた。
*
その考えが変わり始めたのは、学校のお店で、実際に犬と飼い主さんに向き合うようになってからだった。
十歳くらいの、トリミングが大嫌いなミックス犬がいた。
もともとは別の曜日のお客さんで、記録には、暴れすぎてなかなか作業ができないようなことが書かれていた。それでも飼い主さんは、二時間以内での仕上げを希望していた。
たまたま私の曜日に予約が入り、担当することになった。
私は、嫌いな作業は甘めに終わらせること、まずは犬との関係を壊さないことを条件に引き受けた。
実際にやってみると、少しは嫌がったものの、二時間以内で普通に終えることができた。
何度か通ううちに、飼い主さんから新しい希望が出た。
まつ毛を残してほしい。
全身をバリカンで短くするのではなく、足の毛を伸ばしてデザインカットにしてほしい。
技術的には、犬にもう少し我慢してもらえば、できたかもしれない。
けれど、時間は長くなる。その子が最後まで耐えられるかも分からない。
私は、必要になる時間と犬への負担を説明した。
すると飼い主さんは、
「じゃあ、今までどおりでいいです」
と言った。
飼い主さんは、犬の負担を無視していたわけではなかった。
その仕上がりのために、犬がどれくらい我慢することになるのかを、知らなかっただけだった。
そこで私は、技術的にできることと、その犬にしてよいことは、同じではないと気づいた。
希望どおりに完成させることだけが、プロの仕事ではない。
犬が払う負担まで伝え、その子に合う終わり方を、飼い主さんと一緒に選ぶことも仕事なのだと思うようになった。
*
その考えを、もっとはっきりさせてくれたのは、私の犬たちだった。
昨年の十一月、進行がんだったクウちゃんを亡くした。
最後の頃も、クウちゃんはヨタヨタしながら家の中を歩いていた。ただ、長く立っていることはできなかった。
私はリビングの床に座り、太ももの上でクウちゃんの身体を安定させた。
そこで爪を切り、足裏の毛をバリカンで短くした。
今の私なら、五分ほどで終えられる。
クウちゃんを長く立たせることも、何度も体勢を変えさせることもなく、必要なことだけを済ませられた。
お手入れのあと、歩きやすくなったかどうかは分からない。
踏ん張りにくくなるほど爪や毛が伸びる前に、ずっと手入れをしていたからだ。
ただ、その時に思った。
トリミングをやっていて、よかった。
もう治してあげることはできなかった。
それでも、最後まで家で、できるだけ負担をかけずに暮らさせてあげたかった。
完璧に仕上げるために磨いた技術が、最後には、短い時間で必要なことだけを終える技術になっていた。
*
もともと私は、自宅で小さなトリミングサロンを開きたかった。
けれど、自宅を仕事場には使えず、店舗を借りて続けるには、毎日ある程度の頭数をこなす必要があった。
別のサロンで少し働いた時、店を維持することと、一頭ごとのペースを守ることが、いつも両立するとは限らない現実も見た。
私自身、予約や固定費に追われるようになれば、犬が嫌がっている時に「あと少し」と頑張らせてしまうかもしれない。
本当はその子には負担が大きいと思っても、飼い主さんに率直な意見を言えなくなるかもしれない。
せっかく覚えた、ちょうどいいところで手を止めるという判断を、店を続けるために手放したくなかった。
そして、クウちゃんの手入れをしながら思った。
すべての飼い主さんが、犬の全身をきれいに仕上げられる必要はない。
爪切りだけ。
足裏だけ。
目にかかる毛だけ。
その家で必要なことを一つでも安全にできれば、犬が歳をとった時や、外へ連れ出すことが負担になった時に、飼い主さんの手元にできることが残る。
もちろん、家でのお手入れが、すべての犬に向いているわけではない。
難しいことは、プロに任せればいい。
自分でできることと、任せること。その境目を知るだけでも、一度やってみる意味はあると思う。
だから私は、自分が何頭もの犬を仕上げるサロンではなく、飼い主さんへ必要な部分を渡す、小さなお手入れ教室を始めようとしている。
プロと同じ高価な道具を、最初からそろえてもらうつもりもない。
家庭で必要な範囲なら、もっと現実的な道具でできることもある。
プロの基準をそのまま家庭へ持ち込むのではなく、その人と犬の暮らしに合う形へ変えて渡したい。
*
今月、私は学校のお店を辞める。
かつて目指していた場所から降りるような、敗北感はない。
ショーに出る犬を芸術的に仕上げられる人だと、見せるつもりもない。
今の自分に安全にできることを、できる範囲で、背伸びせずに渡していきたいと思っている。
そのために私は、看護師のパートを続けながら、この教室を小さく始める。
急いでお客さんを集める必要はない。
すぐに人が来なくても困らないし、一度に集まりすぎても困る。
自分が苦しくならず、一組ずつ、犬と飼い主さんを見られる人数で始めたい。
求められたことに、何でも応えられる人になりたいわけではない。
自分が引き受けることも、引き受けないことも、自分で選べる働き方にしたい。
教室に来た人が、家で半分までお手入れできるようになり、サロンへ行く回数を減らせたら、それも嬉しい。
けれど、私がいちばん願っているのは、もっと先のことだ。
犬が歳をとった時。
病気になり、外へ連れ出すことさえ負担になった時。
その人が、自分の手で爪を切ったり、足裏の毛を整えたりしながら、
「あの時、習っておいてよかった」
と思ってくれること。
その頃には、もう私の教室を離れていて、私がその言葉を聞くこともないだろう。
それでも、私の知らないところで、犬と飼い主さんの困る時間が少し減っているなら、それでいい。
完璧な仕上がりを求める人には、それを得意とする店がある。
短い時間で、普通に可愛く、犬の負担を少なくしたい人には、別の選択肢があっていい。
安全に犬を触るための技術は必要だ。
けれど、その先に、たった一つの正解があるわけではない。
私は、完璧に仕上げる技術を学んだ。
そして犬たちから、完璧に仕上げない判断を教わった。
これからは、自分が守れる小ささで、その両方を誰かに渡していきたい。
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