見出し画像

「忙しい」という恐ろしさについて考えてみた。

前職では、
「忙しい」と
言っている自分が、
どこか誇らしかった。

予定がびっしりで、
やることが山ほどある。
そんな状況に酔っていた。
誰かに頼られていて、
必要とされている気がしていた。

今、思うのは
あの頃の私は、
実は「忙しさ」に
逃げていたんじゃないか。

忙しい人物だから
なんか色々許されるみたいな。

なぜ、そんなことになったのか。
その裏側には
自分の無価値感や
罪悪感を埋めるために
一生懸命仕事をしたり、
他の人に奉仕したり
してきたのではないかと
思うのです。

頼まれごとは断らない。

人が困っていれば手を貸す。

仕事も「まだできる」と
ヒョイヒョイと引き受ける。

周りから見れば、
「よく働く人」
「優しい人」
「責任感のある人」

だったかもしれない。

でも、
心の奥にはずっと、
「自分はこのままでは
価値がない」
という感覚がありました。

圧倒的に成果を出さないと。

全員から好かれないと。

だから
常に何かを
していないと落ち着かない。
人の役に立っていないと
不安になる。

誰かの役に立っていれば、
自分の存在を
正当化できる気が
していたのかもしれない。

忙しくしていれば、
その不安を感じなくて済む。

忙しくしていれば、
「自分はちゃんと存在している」
と思える。

でも忙しさには、
もう一つの側面があると思います。

忙しいと、
自分の本当の気持ちなど
考える時間がなくなります。

本当は疲れていること。

本当は寂しいこと。

本当は怖いこと。

そういうものを、
全部「後回し」にできてしまう。

忙しさは、
麻酔のようなものです。

痛みを感じなくさせてくれる。
でも、
その問題そのものを
治してくれるわけではありません。

今は、
少しだけ意識して
立ち止まるようにしています。

予定を詰めすぎないこと。
頼まれても断るという
選択肢を考えること。
生産的ではない時間を恐れないこと。

最初はとても怖かったです。
何もしていないと、
自分が空っぽになったような
気がしたから。

誰にも必要とされていない
気がしたから。

最近、
少し分かってきました。

忙しくなくても、
役に立っていなくても、
人は存在していていいのだと。
それがむしろ普通のことだと。

時々、
自分にこんな質問をしてみるのも
大切かもしれません。

私は今、
本当にやりたいことをしていて
忙しいのか?

それとも

忙しくしていないと、
不安だから忙しいのか?

忙しさは、
とても立派に見える仮面です。

だからこそ、
ときどき外してみる勇気も
必要なのかもしれません。

感想でも、アドバイスでも何でもコメントください。励みになります。
読んだらスキもいただけると嬉しいです。

なんしかカッコいい大人になろう。
↓ブログやってます。↓
https://thejetsjp.blogspot.com/

↑毎日更新してます!3分だけお時間ください!!↑
==========

いいなと思ったら応援しよう!

ジェッツさん☆何かおもろいことを企む人 絶対、押しちゃダメよ♥️

この記事が参加している募集