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死は、物語の終わりなのか

年を重ね、「まだ先だ」と思いつつも、死を意識してしまう。

あの世はどんなところだろう、とよく考える。

天国のような場所はあるのだろうか。もし、この世の行いで行き先が決まるのであれば、私は天国に行けるのだろうか天国と地獄の分かれ目はどこにあるのだろうか、と次々と問いが浮かんでくる。

以前も、自分の死生観について綴ったことがあるが、子供の頃は死に対する恐怖―死んでしまったら、家族や友達にもう会えない、と想像しながら、夜になると布団の中で泣いていた。

今は、死に対する未知の恐怖はあるけれど、年と共に受け入れられそうな自分もいる

なんとなく人生ってこんなものだな、とわかった気がして、生に対する執着も薄れていくのだろうか。

愛する人、家族がすでにあの世にいれば、やっとまた一緒になれるね、という気持ちになるからだろうか。

正直わからない。

でも、この世の行いであの世の行き先やランクが変わったり、来世にも影響が出るのだったら、ここで頑張って挽回しないと―そんなヘンテコなことまで考えてしまう。 

先日も引用した私のお気に入りのドラマ「デスパレートな妻たち(Desperate Housewives)」で告別式の場面がでてくる。主人公のスーザンが泣いていると、故人の親戚の高齢女性がこう言う。 

When you’re young, death always comes as such as shock, As if the universe is unfair, But when you get to my age, you realize that death is just the end of the story. The phone call comes, you shed a few tears, and you get together and celebrate the life that was.
若い頃は人の死に打ちのめされたわ。理不尽に感じてね。でも年を取ると受け止められる、物語が終わったって。知らせの電話が来たら、涙を拭いて、故人の人生を称え合う、みんなで集まってね

デスパレートな妻たち・シーズン8・10話

物語の終わりか。

あれだけ恐れていたのに、”次の物語”への好奇心に近い感情も芽生えてきた。

必ずやってくるけど、いつ訪れるかわからない人生の終着点。

ただ一つ言えるのは、その先に何があるのかを、どうしても考えてしまう自分がいる、ということだ。

その答えは、きっと最後までわからない。

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