私の中の二面性―The Other Side of Me
「あなたは善人ですか?悪人ですか?」と聞かれ、「悪人です!」と真面目に答える人はそういないだろう。
私も自分を"悪人"ではなく、”善良な人間”だと思っている。だけど、時と場合、そして相手によって”意地悪な人間”にもなり得る――つまり、私の中には善と悪、両方が共存している。
そう、確実に二面性はある。
なぜこんな話をしているかというと、最近、人の印象・評価って、個々の見方によってこんなにも変わるものなのか、と実感したからだ。
私が人にどう思われているのか、推察してみると、以下が思いつく。
「話しやすい」「気遣いがある」「気が短い」「自己中心的」
相反する言葉があるけれど、おそらくどれもあてはまる。
自分は“善良な人間”だと思いたいし、弱い立場の人や小さな生命を守りたいという正義感もあるのだけれど、聖人君子かと言われるとそうではない。
「やられたらやり返す」みたいな激しい気性も持ち合わせているし、自分の利益を優先する狡さも確かにある。
“ジキルとハイド”までいかなくても、多くの人がこうした二面性を持ちあわせているのではないか。
“完全な善人”や”完全な悪人”というほうが珍しいし、人は状況や相手によって顔を変えるものだ。
耳をふさぎたくなるような残虐なニュースをきくと、生来の極悪人は確かに存在する。
でも、いわゆる「嫌な奴」レベルの話だと、「あの感じの悪いひとでも優しい部分があるんだ」とその意外性にビックリすることがたまにある。
その逆もしかりだ。
「良い人」と言われながら、その冷酷さがうかがえる時もある。
私も、苦手な人がコケたりすると「バチが当たったのかもね」と悪魔のようにほくそ笑む。かなり性格がねじ曲がっているかもしれない、笑。
ただ、この性格も年齢と共に、変わりつつある。
「顔はその人の生き様を表す」と言われているため、ねじれた性格だと顔も歪んできてしまうと、真剣に恐れるようになった。そして、来世があるのであれば、「今の行いが未来に跳ね返ってしまう」と考え、自分の振る舞いを意識することが多い。
私の中の"邪悪さ"は、自分の顔と来世のために消えつつある。
