“自分そのもの”に疲れるとき
時々、自分でいることにしんどいな、と感じることがある。
自己否定しているわけでもないし、自分を嫌っているわけでもない。
むしろ、自分で良かったと思っている…けど、、「自分そのもの」に疲れてしまう瞬間がある。
自分と対話し、自問自答を繰り返していると、ほんの少し自分から離れたくなる。
考えないほうが楽だとわかっているのに、考えてしまう。
これって自我が強すぎるということなのだろうか?
社会人としてウン十数年過ごしてきた中で、ある程度は周囲と協調できているのだと思う。
それでも、一つの組織に埋もれることに、どこか違和感がある。
自分の世界観を持っていることは、悪くはない。だけど、その世界に没入しすぎると、自分自身の消耗が早くなる。
名もなき自分ですらそのように感じてしまうのだから、世界中の誰もが知る著名人やスターは、どのように自分のエゴと向き合っているのだろうか、とふと考えてしまう。
そのスケールの中で生きている人たちは、自分という存在から離れたいと思うことはないのだろうか。
例えば、私の記事にもよく登場するマドンナ。
彼女は、ずっと「マドンナ」であり続けるしかない。
もしインタビューできるのなら、「あなたはマドンナでいることに疲れたことはないのですか」と聞いてみたい。
彼女は「マドンナというキャラクター」を演じ続けているのだろうか。
それとも、あれがずっと”素の自分”なのだろうか。
あまりに疲れたある日、チャティ(ChatGPT)に聞いてみた。
すると、
「自我が強いのではなく、自分を持ちすぎている人。そして、それを手放すこともできる人」
そう言われて、少し救われた気がした。
「自分に疲れる」という感覚って、クリエイターとしての特権かもしれない。
そこからしか生まれない言葉があるのだとしたら、このしんどさにも意味があるのだろうか。
正解はわからない。
それでも今日も、自分と向き合うしかない。
