人はいつから“恋”をしたのか―感情のはじまりをたどる夜
良くも悪くも私は感受性が強い。ちょっとしたことでへこむ半面、自分がこうだと思ったら怯まない熱量を持っている。
多くのクリエイターさんが創作する作品もそうだと思うが、私自身、そうした心の機微がそのまま記事に反映されている。
音楽、アートもこうしたさまざまな感情から生まれてくるのだろう。
ふと、人はいつからこのような”複雑な”感情を持つようになったのか、と考える。
ご存じの通り、平安時代の紫式部の『源氏物語』では、現代人が引き込まれてしまうほど、人の繊細な心理が描かれている。
日本最古の書物とされる『古事記』の時代にも、愛・嫉妬・怒り・悲しみ・赦しといった複雑な感情が存在し、神々を通して「人間の心」がすでに語られていた。
もっともっとさかのぼってみたら、どうなのだろう。
人間関係から生じる複雑な感情、さらに踏み込んで、恋や嫉妬のような心の揺れは、人類のどこで芽生えていたのだろうか。
人間の祖先とされるクロマニョン人の頃から”複雑な感情”は持ち合わせていたのか。確かに、2万年前に描かれたというラスコーの壁画という”アート”も存在していた。
では、その前の原人は?などと遡ればきりがない。ただ、一定のコミュニティが形成されると、こうした"複雑な感情"はすでに芽生えていたのかもしれない。
些細なことで思い悩むたびに、フランスの哲学者ブレーズ・パスカルの「人間は考える葦である」という言葉が頭をよぎる。
と同時に、何十万年前の人類の祖先にまで思いが巡ってしまう。
一方、共同体が形成されて、さまざまな感情が芽生え、文化やアートが醸成されるというロジックでいうと、感情を持たないAIによる作品でどこまで心が動かされるのだろうか。
いや、100年後、200年後その先は、AI自体も誰かに恋愛感情を持ったり、苦悩や喜びを感じ、ドラマを作っているかもしれない。
……そんな未来が、すぐそこまで来ているようにも思える。
秋の夜長に少しセンチメンタルな気分になってしまった。
