黙ってやがった ー抱えて、生きる 第十七話ー
母を亡くしてから、私は本当に大変だった。
相続の手続き。実家の管理。母の家の整理。二人の娘の子育て。
それに加えて、私はちょうどその時期、転職をしていた。新しい職場で、必死に仕事を覚えていた。
忙しかった。
いや、今思えば、意図的に忙しくしていたのかもしれない。
立ち止まったら、考えてしまう。考えたら、悲しみに飲み込まれそうになる。だから、私は、忙しさの中に、自分を埋めていた。
* * *
母の死から、年が明けた。
季節が、過ぎていった。
私は、少しずつ、新しい職場に慣れていった。子どもたちも、すくすくと育っていた。妻も、私を支えてくれていた。
少しずつ、少しずつ、日常が戻ってきていた。
そう、思っていた。
* * *
その夏のことだ。
八月の、ある日のことだった。
私は、新しい職場で、残業をしていた。
時計を見ると、もう、夜になっていた。仕事に集中していて、時間の経過に気がつかなかった。
その時、スマホが、鳴った。
画面を見ると、カズヤからの着信だった。
「あれ、珍しいな」
私は、そう思った。
カズヤと、最後にやりとりをしたのは、何ヶ月か前だった。母が亡くなって、私が落ち着き始めた頃に、私から連絡をした。
「ちょっと落ち着いてきたわ。年末あたり、また会おうぜ」
そう、メッセージを送った。
カズヤからは、「了解」と、短い返信があった。
それ以来だった。
* * *
電話に、出た。
「もしもし」
電話の向こうから、聞こえてきたのは、カズヤの声では、なかった。
女性の声だった。
「カズヤの母です」
私は、そう聞いた瞬間、嫌な予感がした。
なぜ、カズヤのスマホから、お母さんが電話をかけてくるのか。
「カズヤが、亡くなったの」
* * *
私は、立ち尽くしていた。
意味が、わからなかった。
「え?」
それしか、言えなかった。
「は?」
何度も、聞き返した。
「カズヤが、亡くなったの」
カズヤのお母さんは、もう一度、同じ言葉を繰り返した。
その声は、震えていた。涙を、堪えていることがわかる声だった。
私は、その瞬間、自分が立っているのか、座っているのかも、わからなくなった。
頭の中が、真っ白になった。
* * *
「どういう、ことですか」
私は、ようやく、そう聞いた。
カズヤのお母さんは、説明してくれた。
スキルス性胃がんだった、と。
若いと、進行が早いらしい、と。
五ヶ月の闘病だった、と。
最後まで、戦っていた、と。
* * *
私は、聞きながら、頭の中で、計算していた。
五ヶ月。
つまり、三月頃に、見つかっていた。
その頃、私は、まだ母の死で、大変だった時期だ。
「ちょっと待て」
私は、心の中で、叫んでいた。
「ちょっと待て、ちょっと待て」
* * *
電話を切った後、私は、LINEを開いた。
カズヤとの、トーク履歴を、遡っていった。
母が亡くなったことを、私が伝えたメッセージ。
それに対する、カズヤの返信。
「辛かったな」
「お前のお母さんには、俺もよくしてもらった」
「無理するなよ」
カズヤは、そう、書いていた。
そのあと、何回かやりとりがあった。
そのどこにも、自分の病気のことは、書いていなかった。
* * *
私が「ちょっと落ち着いてきた」と送った時の、カズヤの返信。
「了解。年末、楽しみにしてる」
そう、書いてあった。
「楽しみにしてる」
* * *
私は、その文字を、しばらく見つめていた。
あいつ、黙ってやがった。
最後まで、黙ってやがった。
* * *
長年の付き合いだから、わかる。
カズヤが、なぜ言わなかったのか。
母を亡くしたばかりの私に、気を遣ったのだ。
「自分の病気のことを言ったら、こいつは大変な時期に、また心配することになる」
カズヤは、そう考えた。
それは、間違いなかった。
* * *
それから、もう一つ。
カズヤは、極度の負けず嫌いだった。
見つかった当初は、「治す」と、本気で思っていたのだと思う。
カズヤなら、病気にも、勝てると、信じていた。
そして、何食わぬ顔で、年末に、私と会うつもりだったのだ。
「俺さ、実は、ガンになってたんだよ」
そう言って、私を驚かせる。私の、ぽかんとした顔を見て、満足する。
「もう治ったから、心配すんなって」
そう言って、笑う。
カズヤは、いつも、そうだった。
彼女ができた時も、合格した時も、就職した時も、決まってから、初めて私に話した。
私が驚く顔を、見るのが、好きなやつだった。
* * *
けれど、闘病が進むにつれて、自身の体の変化に、徐々に気づいたのだろう。
もう長くない。
そんな中に、私に伝えたら、私が来るとわかっていた。
会いたくなかったのだろう。今の姿を、見られたくなかった。
会うと、自身にはない未来を、想像してしまうから。この世に、しがみつきたくなるから。
だから、言わなかった。私が、自分のところに来ないように。
カズヤは、自分の負けず嫌いを、最後まで、貫いた。
* * *
私は、ぼんやりと、スマホを見ていた。
会社の机の上に、座ったまま、動けなかった。
何分くらい、そうしていたかわからない。
私は、立ち上がった。
帰らなければいけなかった。
明日、通夜に、行かなくてはいけなかった。
* * *
次の日の夜、私は、地元の葬儀場に向かった。
一人で行くのが、怖かった。
妻に、一緒に来てくれるよう頼んだ。
妻は、何も言わずに、ついてきてくれた。
私は、半信半疑だった。
「カズヤが、本当に死んだのか」
頭では、わかっていた。
でも、心が、追いついていなかった。
これが、何かの間違いで、葬儀場に着いたら、カズヤが「よお」と現れるのではないか。
そんな、馬鹿げたことを、考えていた。
* * *
葬儀場に着いた。あいつの名前だ。
しばらく、車の中から出ることができなかった。
そうして、葬儀場の中に入った。
正面に、遺影が、飾られていた。
カズヤだった。
* * *
私は、その瞬間、涙が、溢れた。
やっぱり、あいつだった。
本当に、信じられなかった。
それでも、遺影は、確かに、カズヤだった。
笑っている、いつものあいつ。
* * *
カズヤの両親に、挨拶をした。私の顔を見ると、二人とも涙を流していた。
最愛の一人息子を亡くした痛みは、計り知れない。
闘病中のことを、聞かされた。
最初はまだよかったが、膵臓の機能が下がってから、食事が全くできなくなった。
最後は本当にうずくまって、何もできなかったとのこと。
「けどね、カズヤは一度もきついと言わなかったの。たった一度も」
絞り出すような声で、泣きながら伝える、カズヤの母親。
* * *
そして、私は、棺の中の、カズヤの顔を、見た。
痩せこけて、頬骨が浮き上がって、目は窪んで。
私の知っている、カズヤの顔では、なかった。
涙が止まらなかった。
ほどなくして、私たちは、葬儀場をあとにした。
帰りに、妻に、カズヤとの思い出を語った。誰かに、聞いてほしかった。
妻は、黙って、私の話を聞いてくれた。
* * *
親が亡くなる、ということは、いつか、誰もが経験することだ。
それは、自然の摂理だ。
私の母は、高齢出産だった。同世代と比べれば、両親は早く亡くなる。それは、ある意味、覚悟していた。
でも、カズヤは、違う。
カズヤとは、爺さんになっても、若い頃を思い出しながら、酒を酌み交わす。
そういう存在だと、信じて、疑わなかった。
それなのに、カズヤは、もういない。
* * *
母の死を、ようやく受け入れ始めた、その時期に、この出来事は、起きた。
私の中の、何かを、破壊するには、十分だった。
私は、その日から、少しずつ、死について、考えるようになった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この回で、第三章「親友」が完結します。
連載は、これから最終章となる第四章「継承」に入ります。
少しずつの投稿ですが、最後まで必ず完結させます。
連載「抱えて、生きる」
次回もぜひ、お読みいただければ嬉しいです。
