ルソー<蛇使いの女>

草木が生い茂るジャングルの中、満月に照らし出され、一人の女性の姿が浮かび上がる。女性は髪も肌も真っ黒で、影法師そのもののようにも見えるが、白く光る眼はまっすぐにこちらへと向けられている。やがて、彼女が手にした笛を吹きだすと、それに誘われるように草むらから、そしてジャングルの奥から蛇が現れ、笛の音に合わせて体をくねらせ始める。
この神秘的な絵〈蛇使いの女〉の作者アンリ・ルソーは独学の画家だった。特定の師についたり、画学校で学んだ経験もなく、遠近法をはじめとする絵画の基本的な技法についても知らなかった。絵を描き始めたのも40歳を過ぎてからだ。
そんな彼の絵は、「子供の落書き」のようと、嘲笑の対象となったが、同時に他の画家たちにはない独自の味わいや魅力をも秘め、ピカソや詩人アポリネールらから賞賛された。
特に〈蛇使いの女〉をはじめ、ジャングルをモチーフとした作品群は人気が高く、今ではルソーの代名詞的存在となっている。
だが、なぜ彼はジャングルを描いたのだろう?
なぜ、彼のジャングルの絵は、人を惹きつけ、忘れがたい印象を残すのか?
〈蛇使いの女〉と、その誕生プロセスをたどることで、答えに迫ってみたい。
①「税官吏」ルソー、絵の道へ
アンリ・ルソーは1844年、フランス西部の地方都市ラヴァルで生まれた。
子供の頃から絵や音楽は得意だったが、勉強は苦手だった。さらに家が貧しかったために、高校も中退せざるを得ず、絵の道に進むという選択肢など考えられなかった。
その後、一時期法律事務所に勤めた後、5年間の軍役を経て、1871年、27歳の時からパリの入市税関(パリ市内に商品を持ち込む商人や農民から入市税を徴収する場所)の職員として働くようになる。「税官吏ルソー」というあだ名は、この経歴に由来するが、実際の仕事は税関の門番だった。同じ頃には結婚し、子供も生まれている。
家族を養うため日々の仕事をこなしながらも、ルソーの中には幼い頃から好きだった絵を描くことに対する思いが変わらず息づいており、40歳頃から数少ない余暇の時間を利用して絵を描くようになる。そして、絵の勉強のために通い始めたのがルーヴル美術館だった。
世界3大美術館に数えられ、古代からルネサンス、19世紀半ばに至るまで幅広い時代の作品が並ぶルーヴル美術館は、許可さえとれば誰でも3ヶ月間無料で美術館内の作品を自由に模写できるという制度が現在も存在している。
ルノワールやドガら、ルソーと同年代の生まれの画家たちも多くがこの制度を利用して学び、自らの画風を作り上げる礎としてきた。
ルソーもスタートは遅いながらも、ルノワールたちと同じように先人たち、特に伝統的な作品の模写に励んだ。そして学んだ成果を活かして作品を描き、誰もが無審査で出品できるアンデパンダン展に出すようになった。
その最初期の作例が<カーニバルの夜>である。

描かれているのは、カーニバルの夜に、ピエロとコロンビーヌに扮した男女が森を散歩する場面である。黒々としたシルエットとして描かれた木々は、枝の一本一本が緻密に描きこまれ、まるで影絵芝居のようだ。
木の色の濃淡を変えることで、空間に奥行きを持たせようとも試みているが、稚拙さは否めない。
が、空高くに浮かぶ白い満月は場面を静謐な光で照らし出し、神秘的な雰囲気を醸し出す。
このような作品は他にあるだろうか?
実際に、新聞では酷評され、会場でもルソーの作品を笑う者が後を絶たなかった。が、ルソーは、「自分の作品を無視できない、関心のあらわれ」として前向きに捉え、毎年のようにアンデパンダン展に作品を出品し続けた。
1893年には、画業に専念するため、22年間勤めた税関を退職している。
②「ジャングル」を描く
1889年、パリ万国博覧会の会場でルソーは運命的な出会いを果たす。会場の一角に熱帯植物を並べて再現された南方の植民地のタヒチやセネガルの風景を目にし、瞬く間に魅了されたのだ。
1891年には、ジャングルを舞台にした最初の作品〈熱帯嵐の中の虎〉を制作、アンデパンダン展で発表している。

画面全体に斜めに走る無数の細かい線、大きくしなる木の枝が激しい嵐の真っ只中であることを物語る。空には白い稲妻も見える。
草の間に見え隠れする虎は、目を見開き、歯を剥き出し、「不意打ち」の嵐に見舞われた驚きと恐怖を全身で表現しているように見える。
このような虎のコミカルな描かれ方によって、
緊迫した場面を描いているにもかかわらず、どこかユーモラスな雰囲気が作品からは感じられる。
この後、ルソーは10数年間ジャングルを描くことはなかったが、1905年に<飢えたライオン>を含む数点がサロン・ドートンヌ(1903年からスタートした前衛美術の展覧会)に入選、好評を得る。
出来事に気を良くしたルソーは、ジャングルをモチーフにした作品を数多く手がけていく。
そして1907年には、最高傑作とも言うべき<蛇使いの女>が生まれる。
③<蛇使いの女>
今やルソーの代名詞ともなっているジャングルだが、実はルソー自身は生涯フランス国内から出たことはなく、もちろん本物のジャングルは見たこともない。全てはパリの植物園や子供用の動物図鑑などをもとにイメージを膨らませたものなのだ。

<蛇使いの女>も、画家ロベール・ドローネーの母親から聞いたインド旅行の話をもとに描かれたもので、1907年のサロン・ドートンヌで大絶賛を浴びた一枚だ。
画面右3分の2を埋め尽くす熱帯植物は、葉の形が1枚1枚緻密に描き分けられ、使われている緑の色も20種類以上にのぼる。
このような右側の描き込みぶりに対して、左側に描かれているのは広々とした水面だ。
空にかかった満月が神秘的な光を投げかけている。
よく見ると葉の重なり方や見え方など、一方向から見て描いているにしては、不自然な点が少なくない。が、それが何になるだろう?
絵を見つめていると、女の吹く笛の音色や熱帯ならではの熱く湿った空気、そして濃厚な草の匂いすら感じられそうな気がしてくる。
まるで自身も絵の中に入り込んでしまったかのように。
遠近法や正確なデッサンなど、絵画の「基本的な」技や知識をルソーは学んでおらず、苦手なままだった。
が、ルソーにはそれらの弱点を補ってあまりある想像力や色彩のセンス、そして自分の才能を信じる強さがあった。
また、知識がないからこそ、既成の概念や流行に縛られず、自由に想像を繰り広げ、描き、その中で遊ぶこともできたのだろう。
そう考えると、ルソーの作品は彼の心から湧き出た「夢」そのものであり、「夢」を通して、今でも彼は生き続けているのかもしれない。
