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ゴッホ<星月夜>


フィンセント・ファン・ゴッホ、<星月夜>、1889年、ニューヨーク近代美術館(パブリックドメイン)(出典:Wikipedia)

渦を巻き、左から右へと緩やかに動いているように見える夜空と、その下で眠りにつく町並み。明るい光を放つ三日月と星。そして、左に見える黒い炎のような大きな糸杉。
ゴッホの〈星月夜〉に描き出されるのは、現実にはあり得ない夢の世界と言える。絵を見る者は、中へと深く誘われ、夢と現実の間にしばし揺蕩う。
このように不思議で心地よい体験をもたらす作品は、一体どのようにして生まれたのだろう?そして、この作品にゴッホは何を託したのだろう?
その誕生背景に迫ってみたい。
 

①アルルでの夢の終わり


フィンセント・ファン・ゴッホ、<黄色い家>、1888年9月、ファン・ゴッホ美術館(パブリックドメイン)(出典:Wikipedia)

南フランスのアルルの地に、ゴッホがやって来たのは1888年、まだ寒さの残る2月だった。
太陽の光の下、色彩が明るく輝くアルルを気に入ったゴッホは、ここに芸術家たちが助け合って暮らす生活共同体(ユートピア)を建設する夢を思い描くようになる。
その夢は、10月に「黄色い家」でのゴーギャンとの共同生活が始まったことで、実現に向けて一歩踏み出したかに見えた。
しかし、二人は性格も芸術観もあまりにも違いすぎた。互いが相容れないという事実は、時間が経てば経つほど無視しがたいものとなって行った。
こんなはずではない... …。
思い描いていた理想と現実の違いに、ゴッホは苦しみ、焦った。
素晴らしいものと信じていた夢が壊れてしまうことが怖かった。
そして12月のある日、とうとう決定的な事件が起きる。
ゴーギャンと口論したゴッホは剃刀で切りかかってしまう。幸いゴーギャンにケガはなかったが、ゴッホは自責からか、自ら自分の耳を切り落としてしまう。
ユートピアの夢は、ここで潰えた。
ゴーギャンはパリに去り、二人は二度と顔を合わせることはなかった。
そして、このような事件を起こしたゴッホを、アルルの住人たちは「危険人物」と見なし、彼を監禁するよう嘆願書を提出。ゴッホは病院に閉じ込められることとなった。
これら一連の出来事は、ゴッホの精神を強く苛んだ。これまで一途に追い求めてきた夢は壊れ、アルルでの居場所も失った。
ここを去りたい、と考えるようになるのも自然な流れだったろう。
 

②サン=レミにて


1889年5月、ゴッホは自らアルルの東に位置する町サン=レミの療養院に入院した。
時折襲い来る神経発作に怯えながらも、ゴッホは絵を描き続ける。
そんな彼自身の精神状態を反映するかのように、画面はうねるような力強いタッチで覆われるようになる。
そして、このサン=レミの地で彼が「発見」した新たなモチーフが、糸杉である。
糸杉は、ヨーロッパではしばしば墓地に植えられ、古くから死の象徴とされてきた。一方で、樹齢が長く、葉が落ちない常緑樹であることから、生命や豊穣のシンボルともされてきた。
そして、南フランスでは地域特有の局地風ミストラルを防ぐための防風林として、多くの糸杉が植えられていた。
アルルにも糸杉はあったが、ゴッホはサン=レミの地に来て初めて、糸杉の「エジプトのオベリスク」のような線や比率の美しさ、暗い緑の色調を「発見」し、大いに大いに魅せられる。
それは、アルルでの思い出と深く結びついた向日葵に代わる、新たなモチーフとしてふさわしいものとして映った。
糸杉は、象徴的な意味を持たせた上で、宗教画や肖像画の背景に描きこまれることはあっても、メインモチーフとして描いた作例がないことも好都合だった。
是非、この糸杉を「自分のもの」にしたい。
情熱に火がついたゴッホは、早速この新しい試みに挑戦し始める。

このメトロポリタン美術館所蔵の〈糸杉〉は、比較的早い時期の作例である。

フィンセント・ファン・ゴッホ、<糸杉>、1889年、メトロポリタン美術館所蔵(パブリックドメイン)(出典:メトロポリタン美術館ホームページ)

細い三日月がかかった青い空を背景に、大きな二本の糸杉がうねりながら、天高く聳え立っている。
雲や下生えの草など、モチーフのほとんどがうねるような筆致で表され、特に糸杉には、緑や黒、黄色などの絵の具が分厚く塗り重ねられている。見ていると、ゴッホの手の動きが目に浮かんでくる。
空を背景にほぼ一つに溶け合った二本の樹は、巨大な黒い火柱のようで、画面を突き破ってこちらへと侵入してきそうな力強さが感じられる。

ゴッホの手紙を見ると、糸杉を描くことが予想以上に難しく、苦戦していた様子が伺える。
だが、困難だからこそ取り組みがいのあるテーマだっただろう。
何がなんでも描きたい。達成したい。
そう思えるものを見つけたことは、ゴッホにとって新たな画境を切り開くカギとなっていく。
 

③〈星月夜〉


画業の初期から、ゴッホは常に目の前にモチーフを置いて描くスタイルを取っていた。逆に言うと、「目の前に見えている物」を見たままにしか描けなかった。
そのため、人工灯を頼りに描いた〈夜のカフェテラス〉のような例外はあれど、光の少ない夜の風景というものは、描くのが難しかった。

フィンセント・ファン・ゴッホ、<夜のカフェテラス>、1888年9月頃、クレラー=ミュラー美術館(パブリックドメイン)(出典:Wikipedia)


そんなゴッホに、限界を突破するヒントを与えたのがゴーギャンだった。アルルにいた頃、ゴーギャンは記憶や想像をもとに画面を作り上げる自身の手法をゴッホに勧めた。ゴッホも試してはみたものの、自身には合わないと考え、その時はやめてしまった。
が、サン=レミに移ってからも続けていたゴーギャンとの手紙のやり取りを通して、心境も変化したらしい。記憶や想像を取り入れた画面作りに改めて挑戦することになった。
その試みの中から生まれたのが、〈星月夜〉である。

フィンセント・ファン・ゴッホ、<星月夜>、1889年、ニューヨーク近代美術館(パブリックドメイン)(出典:Wikipedia)


 これは、ゴッホが入院している部屋の窓から眺めた明け方の東の空の風景を描いたものと考えられている。
夜空の濃い青色と、三日月や星の黄色の組み合わせは、〈夜のカフェテラス〉でもお馴染みの組み合わせであり、一際明るい光を放って見える。
右上の月や、画面中央からやや左寄りに描かれた金星の位置は、実際の星空と一致していることがわかっている。
その下に見える町並みは、恐らく昼間に見た記憶をもとにしていると思われる。が、中央に見える高い尖塔を持つ聖堂はゴッホの故郷であるオランダ風のもので、実際の風景には存在しない。
何より異質なのは画面左の約3分の1を占める糸杉の存在だろう。前景に揺らめきながら天に向かって伸びる黒々とした糸杉は、炎のような形も相まって不気味だ。
また、このように前景に一つのモチーフをクローズアップして、後景と対比させ、画面の奥行きを強調する手法は、かつてパリで模写した歌川広重の浮世絵〈亀戸梅屋舗〉から学び、取り入れたものだ。

色彩の組み合わせの研究、浮世絵からの学習成果、現実の星空の観察と自身の記憶など、ゴッホが持つ様々な経験や技術、記憶が、夜の風景を描いたこの一枚の中に詰め込まれている。

アルルでの挫折は、ゴッホの精神を強く打ちのめした。それでもゴッホは描くことを捨てず、入院先のサン=レミで、新たな表現を切り開いた。
その原動力の一つが、糸杉というモチーフに対する強い思いだった。
が、糸杉はゴッホにとって単なる目標の対象には留まらなかった。
死と生の二つにまたがる意味を持ち、うねりながら天高く伸びていく糸杉は、神経発作に怯え、時に死を意識しながらも、描くことにエネルギーを注ぐ今の自分自身を投影した「分身」だったのかもしれない。

サン=レミ時代の終盤の1890年5月に<夜のプロヴァンスの田舎道>で糸杉を描いた後、ゴッホは自身の終焉の地となる北フランスのオーヴェール=シュル=オワーズへと旅立っていく。

フィンセント・ファン・ゴッホ、<プロヴァンスの夜の田舎道>、1890年5月、クレラー=ミュラー美術館(パブリックドメイン)(出典:Wikipedia)


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