野間真さんインタビュー#02~水野あおいさんの履歴書とカセットテープ~
まずは『歌姫伝説』のライブに出演
――時間を少し巻き戻して、デビュー前、水野あおいさんをどう育て、どのように売り出そうとしたかという話を…
「まだアルテミスを始める前のメリーゴーランド時代、92年ごろの話になりますね。
あおいちゃんが『歌姫伝説』に出るようになったのは、92年秋ごろだったかな。「歌姫」とはライブハウスでそういうアイドル系の歌を歌う… だから「地下アイドル」は僕が起源かと言われるとちょっと違って、僕じゃなくて「歌姫」の方が前かもしれません。その『歌姫伝説』というライブを――地下アイドルが集まってカバー曲を歌う、例えば3人でribbonを歌うとか、4人でCoCoを歌うとか、そういうパフォーマンスをやっていたんですね」
――『歌姫伝説』に出演していた女の子たちはどういう人だったんですか?
「それは、たぶんCoCo、ribbonに憧れていた人たちなんだと思うんですよ。毎週日曜にインテリア井門という渋谷のオープンな場所でパフォーマンスをしていた人たちーー 姫乃樹リカやいまのまいという人たちが出ていたと思うんですが、それとたぶん時期が近いんじゃないかと思います。ただ姫乃樹リカはもうちょっと前かな(1988年2月にシングルデビュー)。インテリア井門というのも(地下アイドル)発祥の一つの形態ではあるんですね、ホコ天ライブ的な要素もあるから…」
――どちらかと言うと歌合戦的な、毎週勝ち抜くと、という感じでした。
「そうそう、カラオケ歌合戦的な。あれはいつ頃だったんだろうな」
――85年ぐらいからだったでしょうか?(正確には、渋谷インテリア井門「ストリートオーディション」は84年9月から91年5月まで開催)
「そういうのがあって、アイドルのライブ、カバーでしたけれどライブで歌うという文化がこの頃に出て来ていたと」
――あのとき、姫乃樹リカさんはたしか荻野目洋子や松田聖子を歌っていました。『歌姫伝説』はよく知らないのですが、そこではCoCoやribbonなどの乙女塾関係を歌っていた?
「その関係をカバーする感じになってました」
――CoCoの宮前真樹さんらがまた最近活躍するようになっていますが、CoCo、ribbonなどの乙女塾系は(ライブアイドルの)その前の系列としてあるんでしょうね。
「ありますね。そこに影響を受けている世代が『歌姫伝説』であり、水野あおいや森下純菜もとうぜん影響を受けていますから」
――森下純菜さんは三浦理恵子を大好きだと…
「そうですね、リスペクトしていますね」
――アルテミスに入ったら、ああいうフリフリの感じでやるのかな、と思っていたらちょっと違う方向になって、とインタビューで読みまして。
「まあそうでしたね。へえ、そんなことを…」
履歴書とカセットテープが送られてきたとき
「直接そういう話とは少し脱線するかもしれませんけれど、86~7、8年にアナログのレコード盤がなくなって、CDシングルというちっちゃい細長いものに変わったんですね。今でこそインストゥルメンタルのトラック、つまりカラオケ・トラックというのが標準的に付いていますけれど、当時のCDにはオリジナル音源しかなくて、でもカラオケを入れたシングルカセットというのをレコード会社が販売し始めたんですよ。当時、レコードのアナログ盤はやめて、CDシングルという8㎝の細長いものと、それとは別にシングルカセットというのを同時に発売されるようになって、そのシングルカセットにカラオケが付いているようになったんです。
次に、MDという文化が始まって、そこが(ライブアイドル文化と)重なっていて、さきほどの『歌姫伝説』ではカラオケの音源をMDに落として、それをつないで例えばワンハーフとかメドレーにするとか、そういったことが自分たちでできるようになった。その文化が非常に大きい。それでアイドルが昔のアイドルをカバーすることができるようになった、というのがハード面の要素として一つありますね」
ミニディスク(英語: MiniDisc)は、ソニーが1991年(平成3年)に発表し、翌年の1992年(平成4年)に製品化したデジタルオーディオの光ディスク記録方式、および、その媒体である。略称はMD(エムディー)。MDレコーダーやMDプレーヤーなどで録音・再生ができる。
――ほうほう。
「それで、水野あおい(大河内庸子さん)が履歴書とテープをメリーゴーランドに送ってきたときに、要する写真とともに歌も送ってきたわけですね。なんかね、10曲ぐらい入っているんです。なんと46分のテープの表・裏全部に歌が入っていて、この人はなんだ!?と思いましたけど(笑)」
――歌うことがホントに好きなんですね。それにはどういう曲が?
「ええと… CoCoとかもあったし、ほかに何があったんだろうな… 印象に残っているのは森口博子のデビュー曲『水の星へ愛をこめて』です。あの曲と『ETERNAL WIND』もあったかな。森口博子の曲が2曲ぐらい入っていたような気がします」
――声質に合っている気がします。
「そうですよね。この人、歌がうまいなあ、と思ってね、とりあえず一度お会いしてみましょうと思って会ってみたんです」
(※最近、水野あおいさんがカラオケで『水の星へ愛をこめて』を歌っていたので引用しました)
てゆうかさぁ
— 水野あおい (@mizunoaoi20th) August 26, 2024
初めての1人カラオケだったから2時間にしたんだけど全然まだまだいけた🎤
今度はフリータイムで練習だな
帰り間際の一曲
カラオケの歌って載せて良いのな???
パプティマスシロッコとどうぞ♡ pic.twitter.com/9wg1hqrSWH
「そのときメリーゴーランドで、どう思うって(テープを)聴かせたのがOくん(当時の仲村知夏さん・Qlairのマネジャー)ですよ。Oくんに聴かせたら、”この子はいいです” って」
――実は先日、Oくんとお会いして聞いたんですが、あんまり(記憶が)ピンと来ていなかったんです。森本(精人)社長が履歴書を見て、この子は別にって捨てたのをOくんが拾って、野間さんの好みだと思って渡したって言ってました。どちらなんでしょう?
「その可能性もあるんですね。歌に関しては、Oくんが推したことは憶えています」
――たしか91年秋ごろにメリーゴーランドに遊びに行っているんです。Oくんから、この子の歌を聴いてみて下さいって言われてカセットテープを聴いて、いい声しているね、ってOくんに伝えた憶えがあるんです。そうしたらOくんも、いいでしょ、ぜったいメリーゴーランドに入れた方がいいと思うって言っていたんです。Oくんは歌はめちゃめちゃ気に入っていたと思います。
「そうでしょうね。だってOくんは、歌唱力といったところを評価している人なんです。原点は、森川美穂ですから」
――ああ、そうでしたね。Oくんの記憶が少し曖昧になっていたので。
「これでまあつながって… 僕は、歌もいいんですけど履歴書に書いてある自己PRのところの誠実な感じと、顔(ルックス)ももちろんよくて、これは!という感じでしたね」
丁寧に育てたら面白いかな
――これは!というのはこの子はいけるぞ、という意味ですか?
「いけるぞって。そんな、すごくいけるってほどでもないでしょうけど、丁寧に育てたら面白いかなって。
アイドルっていうのを分かっている感じなんですよね。それはもう30年来変わらない。水野あおいと森下純菜って共通点があって、4人家族なんですよ。ご両親とお姉さんとその妹なんです。つまり2人姉妹ですね。2人のご家族と接して分かることは、お父さんはアイドルっぽい(優しい)目線で娘を見ているんです、とくにお父さんから見たら2人姉妹の妹じゃないですか。妹をかわいがる様子が、アイドル的な感じがするんです。で、お姉さんとも仲がいいし、そういう生まれながらのアイドルっぽい環境で育った感じがするんですよね。だから、“分かっている感じ” と言いますかね。もうかわいくしよう、かわいくしていようっていうような。この姉妹型というか家族構成というのが2人とも同じなんですよね。で、お父さんもすごく世話も焼いてくれるし。そういうご家庭のお嬢さんです」
――姉妹で、お姉さんの方は妹の面倒も見なさいと言われ、自分もきちっとしていなければと考えていて、妹の方は実はちょっと甘い感じに育つ…
「そういう感じですね」
――ただ、お姉さんも芸能界に興味を持っていると幅が広がるんですね、年代的に幅が広がる。
「お姉さんの影響は受けていると思います。デビューするとなると応援してくれると思うし、家族の支えも大きいでしょうし」
――森口博子のデビュー曲を知っていて歌っているということは…
「森口博子は85年デビュー組ですからね。だから彼女が小学生ぐらいだったときです。ガンダムを見ていれば、それは分かるかもしれないけど…」
――ガンダムを見ていたのはお姉さんだったという可能性もありますね。
「その可能性はありますね」
好きなアイドルは松田聖子と中嶋美智代
――いまWikipediaで確認したら、好きなアイドルは松田聖子と…
「聖子ちゃんの曲もあった気がしますね1曲ぐらい」
――それと中嶋美智代と書いてありますね。
「ああ、はい、中嶋美智代か。乙女塾のなかで中嶋美智代をチョイスしているということですね。たしかに彼女のなかではユニットという発想はそもそもあまりなくて、CoCo、ribbonには行かずに中嶋美智代に行きますよね、乙女塾だったらね」
――ソロの歌手をそもそも目指していたということですね。
「そうでしょうね。そうか、それはたしかにそうかもしれないな」
――まだデビュー当時の持ち歌が少ないときは、高橋由美子さんの楽曲を歌っていたともあります。
「まあ、高橋由美子はノリがいいからね… デビューして2年ぐらいたったときに、北海道のイベントで中嶋美智代と一緒になっているんですよ。そのときに “中嶋美智代ちゃんから、もうフリフリはね、あおいちゃんに任せるからって言われた" って感激していましたよ。少し切ない話ですけど、もう中嶋美智代はそういう世界からは降りたって感じで、あおいちゃんがやればいいよ、ってことを言われたって」
――でも、それはバトンタッチされたっていう意味では、本人としては嬉しいでしょうね。
「そうでしょうね」
トレードマークのツインテール
――話があちこち飛んでしまうのですが、ツインテールというのは、もともと彼女がそういう髪型をしていたんでしょうか? それともレコードデビューするからってことで始めたんですか?
「戦略的にツインテールをしたわけではなかったと思います。彼女がしている髪型で、とくにこちら側からプロデュースはしていない、任せていたって感じですね。ただ、トレードマークという感じはありましたね」
――プロデュースしているわけでなく、わりあい自分で髪型や衣装を決めていたんですか?
「そうですね。そうなんですけれども、ソロデビューして1年経った頃に『天使のU・B・U・G』というフジテレビの深夜番組でアイドルがいっぱい出るコーナーがあって、彼女がホームレスのおじさんと楽しく交流するという心温まるコーナーで、ちょっとネタっぽいけれど、キティちゃんのぬいぐるみを背負ってツインテールとフリフリの衣装で、ホームレスのおじさんと一日楽しくホームレス体験みたいな、そういうのをやったときの髪型がツインテールでフリフリの衣装ってことで、それがウケて… それからですね。それから出るときは、ツインテールとフリフリの衣装が彼女の定番になってしまった、というか。
彼女が、それをものすごく好きだったかは分からないけれど、まあそれがウケているんだったらそれで行こうか、っていう話はした憶えがありますね。せっかくそれを支持してくれる人がいるんだったら…」
――それで認知度が広がるんだったら。
「そうですね、トレードマークみたいになりましたからね」
――たしかデビュー4年目ぐらいからツインテールはやめたんでしょうか。
「ああ、それは少し自分のなかで大人になった、ということなのかな」
マネジャー預かりとしてスタート
――履歴書からの話に戻るんですが、とりあえずメリーゴーランドに在籍したんですか?
「逆に社長が認めていないから、在籍ではないですね」
――在籍ではないんですか?
「勝手にいちマネージャーの小さな権限で、とりあえず育ててみようかと。そういう風に始めてみたのがきっかけです」
――当時、野間さんはメリーゴーランドのマネジャーをされていて、履歴書が送られてきたからマネジャーの権限でとりあえず育ててみようと…
「そうです。預かった、という感じですね」
――トレーニングを受けさせることにしたと、Wikipediaに書いてあるんですが、ボイストレーニングを受けさせたということですか?
「そうですね、何らかの形でソロデビューをさせるようなことができるならば、それに越したことはないと。そういうことですね」
――もしかして私費でやられていたんですか?
「ええ、やってました」
――だからか… 3月の桃井はるこさんのイベントでも、どういう経緯でアイドルになったかという話で「履歴書を送って、そうしたら野間さんに会った」って言ってたんです。メリーゴーランドに入った、所属したとは言わずに、野間さんに会ったと。
「野間さんに、って言ってみんな分かるのかい?」
――いや、みんな分かってました(笑)
少し脱線して大山文彦さんの思い出話に……
――では、メリーゴーランドの森本さんとしては、この子は別にいう感じで…
「戦力にならないと言っていたのと、Qlair(クレア)と井上麻美の2つを抱えていたので、やっぱりアイドルに割く余裕がなくて、それで井上麻美という女の子はその時はもうデビューして3年目なんですよ。91・92・93年、あ、2年目の終わりだったか。彼女はもうファンハウスというレコード会社の契約が3年で切れるから、そうしたらもうお払い箱かなっていう空気感だったんですよ。アイドルとしては、失敗とまでは言わないけれど、とりあえず…」
――井上麻美さんは、写真集はけっこう売れていたんじゃないですか? 大山(文彦)さんが一生懸命撮って写真集を出していたような記憶が…
「そうなんですよね、だからその…何ていうかな、歌はとにかくダメだったけどビジュアルはかわいかったので、学研とお話しして写真集をやってみようと。最初の写真集は増刷がかかったのでヒット作だったんですよね。制服が似合う子だったからね」
――大山さんも学校の敷地とかをロケ地にして、そういう雰囲気の写真を撮るのがうまいイメージでしたね。
「そういうイメージですよね。だけど、”こういうのやりたくないんだよね、南の島でさー” とか言ってましたけどね。"ザ・グラビアっていうのがやっぱりいいんだけど、こういうのが売れるんだなあ” とか言ってましたね」
――やはり時代に合わせていたんでしょうね。
「制服っていうのがね。写真集で制服、スクール水着のグラビアなんてのはほとんどない時代でしたからね。アイドルの写真集でそういうのはなかったじゃないですか。『近代映画』の写真集っていったら、普通の衣装と水着があってもカラフルな南の島でっていうイメージで。それにイエローキャブの写真集でも、間違いなく制服とかは出てこない」
――たしか雑誌でも『Cream』とかが出始めたときですね。
「ああそうね、そういうのが出ていたかな。『Cream』とかある程度出たから、そういう文化になったんでしょうけど」
――歴史的にみると、おニャン子クラブの『セーラー服を脱がさないで』で制服、とくにセーラー服には変なイメージが付いたところがあって、女性では、渡辺満里奈とか工藤静香とか個々には好きなアイドルはいたんでしょうが全面的には支持できない雰囲気があって、その後に乙女塾のCoCo、ribbonが出て、少し上品な感じになりましたよね、衣装もリセエンヌ的な感じで。それで女性ファンもあこがれた感じがありましたね。
「そうかもしれない、そうですそうです。女の子にも共感してもらえるって感じでね」
インタビューはまだまだ続きます。
