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【東方幻想物語】四季の風景に彩られる私達 第参拾陸話

第参拾陸話;雨中の邂逅



多々良小傘:

ちきんごーすと様 作

 梅雨に入ってからというもの、幻想郷には雨の降らない日を探す方が難しくなっていた。
 空を覆う雲は今日も厚く、途切れることなく落ちてくる雨粒が木々や草花を静かに濡らしている。

 わきちは肩へ傘を担ぎながら、博麗神社へ続く道を歩いていた。
 雨音は傘の上で心地よく弾み、湿った風は夏の近づく匂いを運んでくる。
 そんな中、不意に足が止まった。

 道端に咲く紫陽花が目に入ったのだ。
 青や紫の花々は雨粒を受けながら色鮮やかに咲き誇り、その一つ一つの花弁には透明な雫が宿っている。

 曇天の下だというのに、その姿だけは不思議なほど明るく見えた。
 わきちは思わず身を屈める。
 そっと花房へ手を添えると、葉の先に溜まっていた雨粒がころりと落ち、小さな波紋を土の上へ広げた。

「綺麗だな~……」
 自然とそんな言葉が漏れる。
 雨の日は嫌いじゃない。

 けれど、紫陽花はそんな雨を受け入れるどころか、それさえ自分の彩りに変えてしまっ
ているように見えた。
 空はどこまでも灰色で。
 陽の光ひとつ差していないはずなのに。

 それでも胸を張るように咲き続けるその姿は、どこか誇らしくて、頼もしい。
 雨に負けないのではない。
 雨があるからこそ、こんなにも美しく咲いている。

 そんな風に思えた。
 しばらく見入っていたわきちだったが、やがてはっと我に返る。

 ――あっ。
 そこでようやく、わきちは我に返った。
 紫陽花の美しさに見惚れるあまり、すっかり時間を忘れていたらしい。
 
視線を神社のある方角へ向ける。
 この先へ進めば、きっと今日も二人がいる。
 縁側で他愛もない話をしているかもしれないし、退屈そうに空を眺めているかもしれない。

 あるいは、また何か面白いことへ巻き込まれるのかもしれなかった。
 そんな想像をしただけで、自然と頬が緩む。
 少し前のわきちなら考えられなかったことだ。

 雨の日に誰かへ会いに行くのが楽しみだなんて。
 誰かのいる場所へ向かう足取りが軽くなるだなんて。

 けれど今は違う。
 博麗神社へ向かう道の先には、自分を迎えてくれる人達がいる。
 そう思うだけで胸の奥が温かくなった。

「早く行かなきゃ」
 小さく呟きながら立ち上がる。
 傘を握り直し、わきちは再び歩き出した。

 雨粒が傘を叩く音も、今はどこか軽やかに聞こえる。
 神社へ続く道を進む足取りは、先ほどまでよりも少しだけ速くなっていた。

けれど、その直後だった。
 向こう側から二人の人影が近づいてくる。

 一人は長く流れる黒髪を揺らした少女。
 どこか気品を感じさせる立ち姿で、雨の中を歩いているはずなのに、不思議と濡れているようには見えなかった。

 もう一人は白い髪を肩まで伸ばした少女。
 こちらはどこか鋭い雰囲気をまとっていて、雨音さえ気にしていないような足取りで歩いている。

 二人は並んで歩いていた。
 けれど仲が良いようには見えない。

 むしろ、互いに反対の存在が無理やり隣に立っているような、そんな奇妙な空気があった。
 その二人が、わきちのすぐ近くまで来た時だった。

 黒髪の少女が足を止める。
 そして、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「この幻想郷はいい世界よね。そう思うでしょ?」
 穏やかな声だった。
 けれど何故だろう。
 聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。

 少女は微笑んでいる。
 なのに、その笑顔は何処か冷たい。

「でももう少ししたら、私がもっと良い所にしてあげるからね」
 その言葉と共に、少女は微笑んだ。
 優しそうな笑顔だった。

 本来なら安心感を覚えてもおかしくないくらいに。
 けれど――。

 わきちの背筋を、冷たいものが走った。
 その笑みは確かに笑顔なのに、何かが違う。
 まるで仮面の上へ無理やり貼り付けたような、不自然さがあった。

 瞳は笑っているはずなのに、その奥だけが妙に冷たく見える。
 底の見えない水面を覗き込んでしまった時のような、不気味さ。
 思わず息が詰まった。

 少女は何もおかしなことを言っていない。
 声も穏やかだった。
 怒っているようにも見えない。

 それなのに、胸の奥に警鐘のようなものが鳴り響いている。
 逃げなきゃ。
 そんな言葉が頭の片隅をよぎった。

 けれど身体は動かない。
 足先から力が抜けていき、地面へ縫い付けられたみたいに立ち尽くしてしまう。
 やがて少女は視線を前へ戻し、そのまま歩き始めた。

 白い髪の少女も何も言わず、その後を追う。
 二人の姿は雨の中へ溶けるように遠ざかっていく。
 それでも、わきちは見送ることしか出来なかった。

 肩を叩く雨粒の感触がやけにはっきりと伝わってくる。
 傘を握る手にも知らないうちに力が入っていた。
 心臓が嫌に速い。

 胸の鼓動だけが耳の奥で大きく鳴り続けている。
 怖かった。
 何が怖いのかは分からない。

 けれど、あの笑顔だけは忘れてはいけない気がした。
 あの笑みの奥には、決して触れてはいけない何かが潜んでいる。
 そんな確信にも似た感覚が、胸の奥へ重く沈んでいた。

 二人の姿が雨の向こうへ完全に消えてからも、わきちの足はしばらく震えたまま動かなかった。


rimasu様 作

 震える足を何とか前へ運びながら、わきちは雨の降り続く道をひたすら歩いていた。
 つい先ほどまで胸を弾ませながら進んでいたはずの神社への道は、今ではやけに長く感じられ、一歩進むごとに足取りも重くなっていく。

 傘へ降り注ぐ雨粒は絶え間なく細かな音を立て続け、風に揺れる木々も普段と変わらぬ姿を見せているはずなのに、今のわきちにはそのどれもが遠い世界の出来事のように思えた。

 頭の中には、先ほど出会ったあの少女の顔が何度も浮かび上がってくる。
 優しそうな声だった。
 穏やかな表情だった。

 けれど、その笑顔だけはどうしても忘れることが出来ない。
 まるで胸の奥へ深く刻み込まれてしまったかのように、目を逸らそうとしても、その姿ばかりが脳裏へ浮かび続けていた。

 どうしてあんなにも怖かったのだろう。
 何が恐ろしかったのだろう。
 その答えを探そうとしても、胸の中には説明の出来ない不安ばかりが広がり、考えれば考えるほど落ち着かなくなっていく。

 そんな得体の知れない感情を抱えたまま歩き続けていると、やがて見慣れた石段が視界へ映り込んだ。
 雨に濡れた石段の先には、見慣れた博麗神社の鳥居が静かに立っている。
 その姿を見ただけで、張り詰めていた心がほんの少しだけ緩んだ気がした。

 石段を上り切る。
 境内へ足を踏み入れる。
 雨音に包まれた見慣れた景色が、ようやくわきちを迎えてくれた。

 そして、その先の縁側には二人の少女の姿がある。
 一人は紅白の巫女服を身に纏い、長く伸びた黒髪を背中へ流しながら、退屈そうに頬杖をついて雨の境内を眺めていた。
 もう一人は大きな黒い帽子を目深に被り、縁側へ腰を下ろしながら曇り空を見上げている。

その見慣れた姿を見た瞬間だった。
 張り詰めていたものが少しだけ緩む。
 わきちは半ば駆けるように二人の元へ向かった。

「れ、霊夢! 魔理沙!」
 慌てた声に気づいたのか、二人が同時にこちらを向く。
「ちょっと、どうしたのよ。そんなに慌てて」
「何かあったのか?」

 魔理沙も心配そうに身を乗り出してくる。
 その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた気持ちが一気に溢れ出した。
「聞いてよ二人とも!」

 わきちはそう言うと、道中で起きた出来事を最初から話し始めた。
 道端で見つけた紫陽花のこと。
 雨粒を受けて咲く花があまりにも綺麗だったこと。
 しばらく見惚れてしまったこと。

 そして神社へ向かおうとした途中で、二人の少女と出会ったこと。
 その時の様子を思い出すだけで、胸の奥がざわつく。

「それでね、その黒髪の人が急にわきちを見て――」
 わきちはなるべく正確に伝えようと、言葉を選びながら話を続ける。

 少女の見た目。
 どこか人離れした気品を纏った立ち姿。
 雨の中だというのに少しも揺らがない雰囲気。
 そして交わした言葉の一つ一つ。

 わきちは覚えている限りのことを二人へ話していった。
 話している最中も、あの時の光景が頭の中へ何度も蘇る。
 けれど、一番強く残っていたのは最後だった。

「あのね……最後に、笑ったんだ。別に怒ってるわけじゃなかったんだよ。むしろ優しそうだったし、声だって普通だった。」
 そこまで言ったところで言葉が詰まる。

 どう説明すればいいのか、自分でも分からなかった。
 あの時感じた恐怖は、言葉にしようとすると途端に輪郭を失ってしまう。
「でも……怖かった。何が怖いのか分からないんだ。でも、その顔を見た瞬間に身体が動かなくなって……胸の奥がぎゅってなって……。」

 思い出しただけで肩が小さく震える。
 傘を握っていた手も、あの時は知らないうちに強く力が入っていた。
 まるで目の前に立っているのに、見てはいけないものを見てしまったような。
 近くにいるのに、どこまでも遠い場所を覗き込んでしまったような。

 そんな気味の悪さがあった。
 話し終えると、縁側へ沈黙が落ちた。
 わきちは思わず顔を上げる。

 いつもなら。
 いつもなら魔理沙は「考えすぎだろ」と笑うはずだった。
 霊夢だって「小傘らしいわね」と呆れた顔をするはずだった。

 だから少しだけ安心したかった。
 誰かに笑い飛ばしてほしかった。

 けれど――。
 二人は笑わなかった。
 茶化しもしなかった。
 ただ黙ったまま、わきちの話を聞いている。

 その様子が、逆に怖かった。
 魔理沙は腕を組んだまま難しい顔をしている。
 霊夢も眉を寄せ、何かを考え込むように視線を落としていた。
 まるで、自分だけが知らない何かを二人は知っているようだった。

 その重たい空気に耐え切れず、わきちの胸の中の不安はますます大きくなっていく。
「ね、ねえ……?」
 思わず声を掛ける。
 けれど二人はすぐには答えなかった。

 その様子に、今度はわきちの方が不安になってくる。
「えっと……?」

 思わず顔を覗き込む。
 魔理沙は腕を組んだまま視線を落としていた。
 普段なら退屈そうにしていることの多い彼女が、今は何かを考え込むように眉を寄せている。

 霊夢もまた、縁側の先へ広がる境内へ視線を向けていた。
 雨は変わらず降り続いている。
 軒先から落ちる雨粒が石畳を濡らし、その音だけが妙にはっきりと耳へ届いた。

 重たい沈黙だった。
 まるで雨雲そのものが縁側へ降りてきたかのような空気が流れている。
 やがて。
 魔理沙が小さく息を吐いた。

「これは――壮大なことになりそうだな。」
 冗談ではなかった。
 いつものような軽口でもなかった。

 魔理沙の口から放たれたその一言は、まるで重い石が水面へ沈んでいくように、縁側の空気を静かに沈ませていく。
 わきちは思わず魔理沙の顔を見た。

 しかしそこには普段の彼女はいない。
 楽しそうに笑う姿も。
 何かを面白がる姿も。
 そんなものは欠片も見当たらなかった。

 腕を組みながら雨の向こうを見つめる横顔は真剣そのもので、まるでこれから起こる何かを既に見据えているかのようだった。
 その隣で、霊夢もゆっくりと頷く。

「ええ、そうね。」
 短い言葉だった。
 けれど、その声には普段の気怠さもなければ、どこか余裕を含んだ響きもない。
 巫女として異変に向き合う時の顔。

 わきちは何度か見たことがある。
 今の霊夢は、まさにその表情をしていた。
 境内へ降り続く雨が石畳を濡らしている。
 軒先から落ちる雫が一定のリズムを刻んでいる。

 本来なら落ち着くはずのその音が、今は妙に大きく聞こえた。
 二人は何かを理解している。
 わきちの話を聞いただけで、何かに気づいている。

 けれど、それが何なのかは分からない。
 分からないからこそ不安だった。
 胸の奥がざわざわと落ち着かない。

 まるで霧の中へ一人だけ取り残されてしまったような心細さがあった。
 先ほどまで感じていた恐怖とは違う。
 しかし、その正体の見えない不安は、静かにわきちの胸を締め付け続けていた。




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次回 第参拾漆話は、2026年 6月14日(日曜日)投稿予定です!
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