見出し画像

写真を見て、何もしない時間を取り戻す夜

最近、夜になるとスマホではなく、本棚に置いてある風景の写真集を手に取るようになった。
それはたまたま、気まぐれで始まった習慣だったけれど、いつの間にかその時間が、1日の終わりに欠かせないものになっていた。
その日の夜も、帰宅してひと息ついたあと、湯を沸かして、マグカップに温かいお茶を注ぎ、ソファに腰を下ろした。

小さな間接照明を灯して、写真集を開くと、ページの向こうから、まるで風の音や匂いが漂ってくるようだった。
そこに並んでいるのは、静かな風景ばかり。
誰もいない海辺、森に差し込む朝の光、電車を待つ駅のホーム、夕暮れに染まる住宅街。
見知らぬ土地のはずなのに、どこか懐かしさを感じてしまうのは、自分の中の「好きな風景」と重なるからかもしれない。
音のない世界を眺めていると、自然と呼吸が深くなる。
肩の力が抜けて、焦りや不安が少しずつ後ろに下がっていく。
それは、瞑想とも少し似ていて、言葉を必要としない癒しだった。
写真に写る景色は、ただ“そこにある”だけ。
美しいとか寂しいとか、評価されるために撮られたものじゃない。
ただ、その瞬間を、その場所で、その人が残したかったんだと思うと、胸がすっと静まる。
ある1枚の写真に目が留まった。

山の麓に広がる草原の上、ぽつんと一軒の家が立っている。
その空の色が、なんだか子どもの頃に見た空に似ていて、ふいに昔の夏休みを思い出した。
祖母の家で、昼下がりに外で蝉の声を聞きながら本を読んでいたあの感覚。
あのときも、何もしていないのに心が満ちていた気がする。
写真には説明がない。
でも、だからこそ想像が広がるし、余白を受け入れることができる。
それはどこか、人生にも似ていると思った。
この写真が撮られたとき、カメラを構えた人はどんな気持ちだったんだろう。
この景色に、何を感じたんだろう。
そんな想像の余白が、自分の心の奥と静かに繋がっていくようで、気づけば、ページをめくる手が止まっていた。
いつからだろう、こうして“何もしない時間”を持てなくなったのは。

SNSを開けば情報が押し寄せて、気づけば目も心も疲れている。
でも写真集の中には、流れも通知もない。ただ、じっとそこにある風景があるだけ。
きっとまた明日も、慌ただしい一日がやってくる。
仕事もやることも山積みで、気を抜けば追い立てられてしまう。
それでも、こうして1冊の写真集を開いて、静かな時間と向き合えた夜があるだけで、「今日はちゃんと自分を大事にできた」と思える。
風景を見て、自分を取り戻す。
誰かの目を通して見た景色が、そっと自分の心を整えてくれる。
そんな夜が、最近の私のごほうびになっている。

いいなと思ったら応援しよう!