【掌編小説】揺れるマリーゴールド
マリーゴールドは、ひと夏しか咲かない。夏が終われば枯れちゃうんだ。
それでも精一杯に咲こうとしている。なのに、嫉妬、悲しみ、絶望、という花言葉がある。
昼休み、公園のベンチに座って空を見上げ、目を閉じた。
木漏れ日が瞼の内側を明るくしていく。
会社、戻りたくないな…
僕ひとりいなくても、仕事は問題なくまわっていく。このままここでぼんやりとしていたい。初夏の乾いた風が僕の頬を撫でた。
僕は入社三年目のしがないサラリーマン。
同期入社の何人かは、主任なんてポジションに就く頃だ。
特別にこれといって強みもない僕に、昇進の話なんて来ない。
ただ、言われたことをミスなくこなし、毎日をやり過ごすだけ。
スマホで時間を確かめる。
重い腰をあげようとしたそのとき、目の前を女の子が通り過ぎた。
通り過ぎた、それだけなら、気にも留めない。だけど、その女の子は花壇と水飲み場を忙しなく行ったり来たりしている。ペットボトルに水を汲んで、花に水をあげている。何回も、何回も。
変な子…。だけど、僕はその子から目が離せなくなった。
オレンジ色のワンピースを着て麦わら帽子を被った子が、マリーゴールドに必死に水をやっている。思わず声をかけた。
「ねえ、何してるの?」
「水、あげているの。だってこんなに暑いのに誰も水をあげないのよ。枯れちゃうでしょ」
「大丈夫だよ。だってちゃんと咲いてるから」
その子は満足したのか、水やりを終えてベンチに座り深呼吸をした。
「仕事、さぼってるの?」
その子は視線を、頭からつま先まで這わせて聞いた。
「え、いや、もうすぐ戻らなきゃだけど。君も仕事じゃないの?それとも大学生?」
「大学生に見えた?なんか、嬉しい。仕事、夕方からだから」
「…そうなんだ。水やりもいいけど、自分もちゃんと水分補給しなよ」
そう言って、会社に戻った。もう会わないだろうと思った。
あれから、君と公園でよく顔を合わせるようになった。
枯れない花に何度も水をやる。その執拗さが、僕の心をぎゅっと掴んで離さない。気づいたら一緒に過ごすようになっていた。
「ただいま」と言うと、君が「おかえり」と迎えてくれる。僕は君を抱き寄せキスをする。そのままベッドに雪崩れ込む。
「そろそろ、仕事行かなきゃ」
君は着替えて化粧を整える。
「ねえ、行かないで」
僕は聞き分けのない子どもみたいな声で、わがままを言う。
君は、ちょっとだけ目を伏せて答えるんだ。
「こらこら、子どもみたいなこと言わないで。ちゃんと帰ってくるから」
僕は君に今日何度目かのキスをする。
ひとりになった部屋で通帳を開く。何度眺めても、残高が増えるわけでもないのに。借金、三百万。正確には、君の親の借金だ。
親のために、君がそこまでする必要があるのか。
僕の年収の三分の二。
そんな大金を僕は工面できない。
昨日はあっちの男、今日はこっちの男。たくさんの男に抱かれる君は、揺れるマリーゴールドのようだ。そんな君に「もう離れないで」と言えない。肩代わりできるほどの甲斐性が、僕にはない。
アイラブユーの言葉じゃ足りない。
だから、せめて抱き締めさせて、そしてキスをして。
いつまでも、離さない。誰にも、触れさせたくない。
そっと窓を開けると、湿った暖かい風がカーテンを揺らす。
僕は街の灯りを睨む。窓ガラスに写った自分の顔は、どこか遠くを見ていた。君が風になびく姿が頭に浮かんだ。鳩尾の少し下が、むかむかとして熱くなる。奥歯にぐっと力が入って、音を立てて窓を閉めた。
それしか、できない。
