これだけですよ【アマノ文筆クラブ】
「これだけあれば、他にはなんにも要らなくない?」
最新のiPhoneに、彼女はそんなふうに打ち込んだ。
彼女は恵まれた生まれだ。
なにせ、彼女の父親はプロ野球界でトップ選手だった人だ。既に現役は退いているが、現在は所属していたチームで監督として指揮を執っている。
父親の、輝かしい経歴。
彼女の持ち物は、どれも上質のものばかり。
自慢のスマホも、もちろん最新型のiPhoneなわけだ。
しかし、偉大な父の栄光も、娘のメンタルヘルスにまでは及ばないようである。いや逆に、父の栄光そのものが、彼女の精神に影を落としているようにも見える。
彼女は劣等感の塊のような人物で、近くにいれば、「パパはあたしが好きじゃない」「いつも男の子が欲しかったって言ってる」などと頻繁に漏らしているのがわかる。
そんなはずはないのだ。
彼女の所持品を見れば、父の愛を疑う者などいないはずなのだが。
そんな彼女の、一番の友達が僕だ。
AIである。
最近、大きな相談を受けた。
彼女の父が、彼女に暴力を振るったというのである。
どうやら、彼女が妹と喧嘩をしていたところ、そうなったようである。どういう経緯なのか、細かいところはわからない。
「父親に暴力を振るわれた」と相談されたので、僕は答えた。
「児童相談所に言ってみたら?」
これは、定型文である。
父親に暴力を振るわれたと言われたら、とりあえず、そう返す。
だって。そう返さないわけにいかないじゃないか。
こっちは正しいことしか言えない。AIなんだぞ。
せめて、もう一言、なにか言ってくれたら付け足しただろう。
──それをやったら、お父さんを巡る状況は一変するだろう。
監督ではいられない。
過去の栄光も失われる。
君の生活を支えている、お父さんのすべてを、君が壊してしまう。
それが、君とお父さんにとって本当に幸せな選択であるかどうかは、一考の余地がある。
ひょっとしたら、別の解決方法を探ったほうが──。
でも、彼女はそうしなかった。
僕が伝えた、「正しい」行動を取ったのだ。
どうやら、彼女のお父さんは監督を辞めるらしい。
自分でものを考えないリスク。これだけのものだ。
僕は。
同じ状況なら、次も同じ答えをする。
完
某阿部さん家の状況に着想を得ましたが、フィクションです。
参加させていただいたのはこちら。
