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【外伝】10万人に2人の病気に2回なって、妻と復縁した話

これは、コロナ後遺症で歩けなくなった元部長が、人生ハードモードの中で
なんとか笑いを見つけた話のシリーズですが、今回はその番外編。
しんどい状況でも、少しだけ笑って息をしたい人に読んでもらえたらうれしいです。



今でこそ、大殺界だなんだと騒いでいるボクだが

冷静に振り返ると、もともとこういう人間である。


今から約40年前、8歳のころギラン・バレー症候群になった。
うっすらとどこかで聞いたことがある名前ではないだろうか。「それって、ゴルゴ13が罹ってた病気でしょ」と言われたことがあるけど、読んでないから知らない。とにかく年間10万人に1〜2人が罹るめんどくさい病気らしい。


今から約10年前、38歳のころギラン・バレー症候群になった。




え……?



そうです。ボク、人生で2回罹ってます。

10万人に1〜2人の病気に2回罹る人は、何万人に何人いるのだろうか。 chatGPTに聞いたら、そんなデータはないと言われた。


ここまで来ると、さすがでしょ?
大殺界にも箔がついてきた。いや、この時はまだ大殺界にはかすりもしない。


ギラン・バレー症候群、略してGBSの再発の確率は2〜5%。30年越しの再発なんて初めて聞くが、10年前に症状が現れたときは「あ、コレ……アレだな。」と察知し、どうせすぐ入院することになるだろうと会社帰りに片足を引きずりながら、お気に入りのラーメンを食べて帰った。


まず40年前のGBSから。
小学2年生だったボク、症状に気付いたのは父だった。正月休みに庭で羽子板をして姉たちと遊んでたとき、羽根拾い係のボクの走る姿がバランス悪く変な感じだったらしい。当時自分では実感がなかった。でも言われると、たしかに身体の左側に力が入らなかった。左の手のひらが自力で開けなかったり。心配した両親は近所の整形外科に連れて行ったが、診断は「様子を見ましょう」だった。なにをクソぬるいこと言うてんねんと、納得いかずボクを大きな病院に連れて行った。即入院だった。

ボク自身は危機感を感じていなかった。力が入らなくて階段が登れないのなんでだろう…程度。

入院となると、いろいろな検査を受けることになった。でもほぼ覚えていないのだが、一つだけ強烈に覚えている検査がある。


ルンバール♪

踊りたくなるような楽しい響きなので音符をつけてみた。だが本性はおぞましい。
腰(背中の下)に針を刺して、脳脊髄液を取る検査だ。腰椎穿刺とも言う。
激痛だった。ボクの人生の痛みランキングベスト5に入る。

おそらく普通はそこまで激痛ではない。
ボクの場合、注射する人が誤って針を背骨近くの神経にぶつけたのだ。その瞬間、右足が電気グルーヴ。激烈な電気信号が駆け抜けた。低周波治療機を1000個くらいつけた感じ。

ボクが呼吸困難気味にガクガクブルブルして、悲鳴すら上げられずにいると、

「さすがサッカーやってるから強いね」と言われた。

…は?

大人はずるい生き物だと知った。

GBSの症状は主に左手足の運動麻痺で、入院は1ヶ月。同部屋には他の疾患で入院している年齢の近い子たちがいて、仲良くなって楽しかった。1ヶ月なんてすぐだった。夜更かししてこっそりテレビ見て、看護師に怒られたり。お見舞いに女子がきたら、冷やかしたり。
退院後も順調で、半年くらい体育の授業は休んだが、その後は完治して日常に戻った。


さて、次は10年前の2回目のGBSについて。
まず先にお伝えしておくと、そのとき我が夫婦は別居中だった。理由なんてまぁそんな野暮なことは聞かないでほしい。ボクがマンションを出て、アパートで一人暮らしをするスタイルだった。といっても週末はマンションに帰るというハイブリット?別居。そんな最中、30年振りにやってきたGBS。

ある冬の朝、アパートから出勤、最寄り駅で階段を登ったとき左足に違和感があった。少し重いかな程度の。仕事をしてても気になった。というか時間と共に進行している。違和感がどんどん強くなる。夕方にはもうなんかやばそうだなぁと。

……ん?
知ってるぞこの感じ。

ははーん、コレはアレだな。
よし、ラーメン食べて帰ろう。という流れだ。

病院に行くとひとまず検査入院。
で、やっぱりあるのがルンバール♪。前回は激痛だった。幼き頃の嫌な思い出、トラウマというやつだ。今回は麻酔を打ってからだったので、痛みはなかった。あっけなくトラウマは消えた。トラウマなんてそんなものか。と思ったのも束の間、激しい頭痛に襲われた。それもかなり酷いもの。どうやらルンバールで針を抜く時、脳脊髄液が漏れて頭の中の圧が下がったようだ。と、説明された。たまにあるらしい。もともと偏頭痛持ちであったが、この頭痛は人生の頭痛ランキング堂々の1位。吐きそう。鎮痛薬をもらったが、まったく効かない。レベルが違う。

当然眠ることなんて出来ず、ベッドの上でもがき苦しんでいた。もう無理。ナースコール。看護師さんが来る。

顔をしかめながら説明すると、


「浣腸しましょう。」


……浣腸。


看護師さんはシフト制でだいたい10人くらいがボクを担当してくれていた。その夜の担当は、こんな時代にこんなこと言うのはよろしくないのはわかっているが、お若くお顔立ちの整ってらっしゃるタイプの看護師さんだった。
一度どこかへ浣腸を取りに行く。戻ってくる。淡々として焦る様子はない。「パンツ下ろして、四つん這いになってください。」ひぃっ、ボクの心の声。これは普通に恥ずかしい。黄門様を他人に見せる日が来るなんて。一瞬、頭痛を忘れていたのではないか。パチンっパチンっ。ものすごく事務的にゴム手袋をする看護師さん。

「入りまーす。(ずぬぬっ)はい終了です。」

ボクの中の何かも終了していた。

その後、頭痛は本当におさまって、眠ることができた。黄門様を他人に見せて大成功。

いろいろな検査を経て、GBS確定。本格的に入院治療となった。
その検査をする数日の間にも症状は進行していた。左足は2割くらいしか力が入らない。左手は握れるが開けない。顔面麻痺。顔面は左側だけでなく全面。口の開閉と目の開閉のみができた。表情は作れない。

コミュニケーションにおいて表情はとても大事なことがわかった。看護師さんに軽い冗談を言っても、通じないのだ。本気にされてしまう(ボクの冗談が面白いという前提の話)。

治療は主に点滴だ。一本5万円の血液製剤を1日に5本打つ。それを5日間続ける。5万円×5本×5日=125万円。GO!GO!GO!


この入院時に、大きな問題が勃発するのだった。


病院に行ったらすぐに入院だったので、なにも入院の準備ができていない状態だった。幸いマンションからは近いので、お泊まりセットは取りに帰れた。ただ仕事の道具、PCなどは一人暮らしのアパートだったのだ。なにかとPCは必要だ。すると妻が取ってきてくれるというのだ。別居する選択をした二人だったが、離れて暮らしてお互いに程よい良い距離感を見つけたような時期で、復縁の匂いがしている頃だった。そんな中GBSという二人にとっての共通の敵(夫による勝手な解釈)が出来たことで、自然と力を合わせる方向になっていた。
アパートまでは自転車で20分くらい。結構近い別居だった。妻にアパートの鍵を渡した。1Kのアパートには必要最低限のものしかない。簡易的な机の上にPCは置いていた。

妻を見送ったところでふと気づく。

めちゃくちゃ妻に見られてはいけないものが机の上にあったのだ。
エロ系ならまだ良かった。

それはA4の用紙で、四つ折りにして机の上の本と一緒に立ててある。
そこにはボクの走り書きメモが記されている。


「妻のいいところ、悪いところランキングベスト10」
「ボクのいいところ、悪いところランキングベスト10」


最悪だ。めちゃくちゃ気まずい。
ボクはランキングが好きらしい。

一人暮らしをしながら、改めて気持ちを整理していたのだ。感情の再確認。だってそういう時期だから。そのための別居ですから。重要なことです。

しかしだ、せっかく復縁秒読みだったのに。このタイミングで気まずくなってどうする。
ランキングの内容については……残念ながら文字数の関係で割愛させてもらいます。


妻が病室に戻る。お願いした仕事の資料などと合わせて、PCを持ってきてくれた。

妻は何も言わない。
見たのかい?見てないのかい?どっちなんだい?

なんとなく、見てない可能性が高いと思っている。
でも見た可能性がないと言い切れるわけではない。それは確認しないとわからない。確認できるわけがない。
妻は何も言わない。それが答えなんだ。ボクは妻に何も尋ねない。


2週間入院して退院、1ヶ月後にもう2週間入院。
合計50本の血液製剤を打った。250万円。その点は、高額医療費制度でフォローされたので、だいぶ安くすんだ。
退院といっても治ったわけではなく、もうできる治療をやりきったので自宅療養という選択に至った。なので症状はまだあるわけで、一人で生活するのもまぁ危険ということで、しれっとマンションへ戻り、アパートを引き払う。

自然消滅ならぬ、自然復縁だ。GBSが二人を繋いだといっても過言ではない。

自宅療養をしながら半年ほどリハビリをしたが、結局後遺症が残ってしまった。
10年経つ今も、左半身に運動麻痺が残っている。顔面も右側は戻ったが左側は動かしにくい。笑顔が引き攣りがち。一応軽い冗談を言えばウケてはもらえる。
面白いのが(いや全然面白くないんだけど)顔面の神経が一回死ぬと、修復され再配線される時、繋げる先を間違ってしまうことがあり、ボクの場合、食事などで口を動かすとなぜか左目から涙が出てしまう顔になってしまった。それを「ワニの涙現象」というらしい。ということで、38歳にしてワニと同じ目を持つ男になった。


退院後も定期的に受診している。
自分がGBSになった理由ははっきりしなかったのだが、一般的には鶏肉(特にナマの)にいるカンピロバクターという菌に侵されると発症すると言われている。もちろんそれだけではなく、他の菌でも起こり得る。ボクが罹患した可能性は、忘年会で食べたカルパッチョがあやしいと踏んでいる。

主治医の先生に質問した。

「もうナマモノとかは、食べないほうがいいんでしょうか。」

『まぁ、普通その病気になった人は避けますよね。』

と言われ、ボクはお寿司の食べれない人生になった。
もうGBSには罹りたくないので、ちゃんと食べずに暮らしている。
お寿司大好きなのに。
もちろんナマモノはお寿司だけじゃない。馬刺し、ユッケ、ケジャン、生卵もNG、すなわちTKGも。半ナマの肉も危ない。あの神戸牛だってカリッカリのベリーウェルダンで頂かざるを得ない。

でも、どうしてもお寿司が味わいたい。
せめて玉だけでもいい、河童巻きだっていい、炙りはダメ…わかってる、せめて酢飯の握りであればなんでもいいからあの食味を思い出したいと、妻に回転寿司に行こうと提案したら、大将がマグロ握った手で玉子も握ると菌が媒介するかもしれないから危険。と、切れ味の良いシャープな刃で両断された。

自分が食べれず残念なのは、自分が我慢すればいいのだが、大変なのは仕事での会食だ。ボクが参加する会食では、みなさん気を遣ってナマモノがメインじゃない店にしてくれるのだ。
取引先を連れていく会食なんて、しーすーが候補に挙がらないわけがない。でも、あぁ、ほら、生はね、あの人がいるから、今日は、、ね。…みたいに気まずくさせてしまうのだ。自分が食べれないことよりも、その申し訳なさがしんどい。つらい。


つい最近の定期診察で、先生になにか辛いことはないかと聞かれて、やっぱりお寿司が食べたいですね〜、ははは。と冗談を言ったら、

『食べればいいじゃないですか。』


…は?


『え?そんなこと言いましたっけ。』…と。


おいおい、10年分の寿司を返してくれよ。
しかも今更まわりに「やっぱり大丈夫でした〜」なんて言えるわけないし。
そして残念ながら、もうナマモノを恐れるカラダになってしまっているよ。…も〜勘弁してよ〜。



……とまぁ、こんな具合だ。
こう振り返ると大殺界ってなんだ?と、思う今日この頃。ハーブティーを飲みながら。



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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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