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“グレーさ”が1番くるしかった


正直、
特性については仕事で知っていたので、
四六時中検索していたわけではありませんでした。

でも、
例えば

「視線が合いにくい」

という特徴ひとつとっても、
我が子のこととなると
“知ってるから気になりすぎてるのか”
“どこからが気になる範囲なのか”
が分からなかった。

全く目が合わないわけじゃない。

でも、
なんとなく合いにくい気がする。

反応もゼロじゃない。

でも、
どこか薄い気がする。

その“グレーさ”が、
ずっと不安でした。

だから検索するというより、

「この程度はある?」
「まだ個人差の範囲?」
「早生まれだから?」

そんなふうに、
頭の中でずっと答え合わせをしている感覚でした。



そして、
もうひとつ苦しかったのは、
長男との関わりでした。

「赤ちゃんのうちに沢山関わった方がいい」

頭では分かっている。

でも、
長男と2人きりになると、
気づけば無言になってしまう自分がいました。

反応が弱い。

あやしても、
こちらが思うような反応が返ってこない。

すると、
こちらも自然に関わり続けることが難しくなる。

もちろん、
可愛くないわけじゃない。

大事じゃないわけでもない。

でも、
“関わるエネルギー”が循環しにくい感覚がありました。

夫や母など、
もう1人大人がいると少し違う。

でも、
2人きりになると苦しかった。

そして、
そんなふうに感じてしまう自分に、
罪悪感もありました。



さらに苦しかったのは、
仕事で感じたことのある感覚と、
どこか重なってしまっていたことでした。

私はこれまで、
視線が合いにくい子や、
反応が弱い子への療育に関わることがありました。

その子たちと関わる時は、
こちらが工夫しながら関わる必要がある。

表情を大きくしたり、
声のトーンを変えたり、
タイミングを調整したり。

“自然に関わる”というより、
こちらが意識的にエネルギーを使って関わり続ける感覚。

もちろん、
それ自体は支援として特別なことではありません。

でも、
長男と2人でいる時、
私は時々、
仕事の時と似た感覚を覚えていました。

頑張って関わらないと、
やり取りが続かない。

工夫しないと、
反応が返ってこない気がする。

その感覚が、
ずっと頭から離れませんでした。

そして同時に、

「我が子に対して、こんなふうに感じるなんて」

という苦しさもありました。

ここから先は、
実際に相談へ行った時のこと、
そして“支援する側”だった私が
“支援を受ける側”になって初めて感じたことについて書いています。

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