すり減る心は砂時計のように。潜める衝動は凶器のように…。生きるって螺旋階段。
私はADHDと不安症と主治医に言われてますが、正確に言うとADHD(衝動性なし)ってやつです。主治医は、私に衝動性はないと診断したのでしょう。
だけど当の本人は、昔から衝動性酷いと思ってます。買い物依存症みたいにもなったし、クレーンゲームに財布空っぽになるまでつぎ込んだり、ひとたび衝動性にスイッチ入ると、大変な事になるのです。というわけで、必要最低限の金は私には持たせちゃいかん、クレカも作っちゃいかんと、自分を戒めているわけです。
それでも止まらない時は、通帳からお金下ろして色々やらかしちゃいます。果たしてこれを衝動性と呼んでいいかは分かりませんが、うーん、衝動的にこれが欲しいと思ったり、これを始めたいと思うと、まず止められません。あとは、精神的に追い詰められた時に、窓からぴょーっんと行ってやるぜとか、適当な紐見つけて首に巻き付けたりという、恐ろしい衝動も発動させる時があります。これでも私は衝動性なし判断なのだろうか…。
私の場合、こういう場合、悲しいかなという言葉が正しいのか、恐怖という壁とか一線が残っているので、実際に最後の一線を越えてしまうということはないです。
誰か助けて、そんな気持ちが強いのだと思います。
多分この一線を越えると、本気で消えてしまいたい、消してしまいたいという方向へ行くのでは?と思ってます。
色々な体験談とかを読んでいると、その一線を越えてしまった時、そしてそれが失敗(と言っていいのかな)してしまった時、周りの人の目が非常に冷たいと、病院でも非常に冷ややかに対応されたというのを目にします。
別にその一線を越える行為を肯定はしません。だけど、うーん、全員ではないにしても、そこに至るまで、相当精神的に追い詰められたのであろうというのは、なんとなく想像できます。自分もまた、そこまでいかなくても、かなり心は消耗して追い詰められているので。
もちろん自ら命を絶つのはやってはならないことです。なので、冷ややかな視線や態度も分からなくはないですが、ほんの頭の片隅でもいいので、この人はここまで追い詰められるほど、心が消耗するほど、耐えて耐えて、頑張ってきたというのを置いておいて欲しいなと、自分勝手だなと思われるかもしれないけど、私は思うのです。
全員そういう人とは限らないというのも前提でね。
恐怖という一線を越えたことのない私からすると、それを越えてさらに、ここを越えたらだめだ!って一線まで越えてしまうというのは、本当に本当に、精神が持ちこたえられなくなって、粉々になって、周りのものもことも何も考えられない、見えない、そんな状態なのかと。その一点だけしか見えなくなっているのかなと。それほどに現実がまるで地獄か何かのようなのかなと。
たまたま、自分もかなり精神的にまいっていて、たまたま、そういう体験談を幾つか読んで、なんかこんな風に思ったんだよね。
どうしてこんな事したの!
よりも
こんな事するまで、どれほど辛かったのだろう。
そんな風に思った。
してはいけないことをしたのだから、怒るのも、自業自得と冷ややかなのも、自ら命を絶とうとしたくせにと思うのも当然なのだけど、そこに至るまでの辛さや苦しみも伝わるといいなぁと。
誰だって好きでそんなことしないと思うんだよね(全員じゃないけど)
色んな人がいて当たり前、みんな個性があって一緒じゃない、そんなちょびっと優しい世界が未来にあるといいよね(←今じゃないんかい)
あとは副作用の少ない発達障害の薬とか、精神薬が出てくると、私としては嬉しいかな(もちろん、今よりちょびっと理解ある世界もあれば嬉しい)
私が言えた立場ではないけど(笑)何年か不妊治療して思ったの、これだけ手を加えても授からないものは授からない。妊娠出産は奇跡に近い。だから、せっかく授かった命、大切にしないとね。まぁ、本当に私が言えた立場ではないんだけどね…(軽く色々やらかしとる)
あー、生きるって難しいな。
(こういうのもね、衝動で書いてる(笑))
