本社メッセージの直訳が悪手となる日
海外企業の日本進出PRを手がけている同業者と先日話していた時に「アルアル!」盛り上がった話があった。
実は、私はそこまでこの経験をしたわけではないのだが、意外と多くのグローバルPRがこの問題に直面していることに気づかされる。
本社から「これを日本で出してほしい」とメッセージが降りてくる。
プレスリリース、CEOのスピーチ原稿、メディア向けのキーメッセージ。英語として完璧に作り込まれた、グローバルで統一されたメッセージ。
それを日本語にただきっちりと訳し、よっぽどのことがなければ日本独自のアレンジはNG。
正直、仲間の1人がその話をし始めた時、
「このグローバル時代において、今どきそんなことある??」
と思ってしまった私がいた。
日本に進出してくる企業だって、それなりの覚悟を持って進出してくるはずだ。本社の広報担当か、少なくともマーケティング担当が面倒をみているのであれば、各国には独自の文化や商習慣があることくらい、100も承知なはず。
それを、寸分の狂いも許さぬ厳しさで
「ただ翻訳して出せ」
とは、ずいぶんと乱暴だ。
各国の独自メッセージを軽視しているというよりも、HQの余裕がない
しかし、その後に続いた仲間の話で納得。
本社は各国の独自文化や商習慣があることくらい当然知っている。
ただ、それらをベースに作られたオリジナルのPR文書をひとつひとつ確認する時間がないのだ。
もちろん、AIを使えば翻訳など一発。しかし、異なる文化背景を踏まえて細かい言葉の機微や、絶妙なニュアンスの違いまで含めて
「責任者として、OKを出す」
ということが難しいのだという。
だったらば、
「練りに練られた英語や中国語など、本社のものをそのまま翻訳して!
それなら安全だから!」
ということになるのだとか。
しかも、大きな発表の前は、本社のPR担当はメディアへの説明、文書の発信だけでなくSNS投稿の準備(会社と、社長の分も)など、目の回る忙しさ。
そんな中で、事情もよくわかっていない各国のリリース文に目を通すひまなど到底ないというのだ。
しかし、長年多くの外資企業の広報をサポートさせていただいてきた身からすると、かなり危険だ。
私がサポートしたクライアントについての詳細などはもちろんここで書くことはできないので、あくまでも一般論として、いくつかすでに公開されている情報をもとに事情を探ってみたいと思う。
Uberが日本で突きつけられた現実
私は、最もわかりやすい失敗例がUberだと思う。
Uberは世界各国で「既存のタクシー業界を変革するディスラプター」としてのポジションを取ってきた。アメリカでは規制当局と正面からぶつかり、消費者からの草の根の支持を武器に、市場を力ずくでこじ開けた。そのメッセージは「古い規制は消費者の利益を阻害している。我々がそれを変える」というものだった。
このメッセージ戦略は、多くの国で機能した。
しかし日本では、まったく機能しなかった。
Uberが日本市場に参入した際、既存の法規制に抵触するサービスを展開しようとした。アメリカと同じ「ディスラプター」のポジショニングで。しかし日本では、法律を堂々と破ることは「イノベーション」ではなく「信頼の棄損」と受け取られる。規制当局もタクシー業界も消費者も、Uberを拒絶した。
ここで重要なのは、Uberのサービス自体に問題があったわけではないということだ。問題は「メッセージと向き合い方」にあった。「我々が市場を変える」というメッセージは、日本では「あんたら日本人のやり方は間違っている」と言われているように響いてしまいがちだ。
日本のステークホルダーが求めていたのは「既存の仕組みを尊重した上で、一緒に改善していく」という姿勢だった。
タクシー業界が変わらなくてはならない部分がある、ということは多くの人が認識していたはずだ。しかし、それを突然外からやってきた企業が「日本の古い業界を変えてやるからついてこい」と言われても、反感を持ってしまうのが日本社会の性だろう。
Uberが日本で本格的にサービスを広げるまでに10年近い時間がかかっている。最初から日本に合ったメッセージ戦略を取っていれば、この時間は相当短縮できたはずだ。
Salesforceが日本で信頼を獲得した方法
逆に、うまくやった企業もある。
Salesforceの創業者マーク・ベニオフは、日本市場に対して明確な方針を持っていた。「日本の顧客に関する経営判断は、日本のマネジメントが行うべきだ」。グローバル企業のCEOがこれを公言すること自体が、日本のステークホルダーにとって強力なシグナルになる。
Salesforceは日本市場で最初から大企業を狙わなかった。中小企業から始め、実績を一つずつ積み上げた。そして日本郵政との契約を獲得するまでに約2年かけている。
面白いのは、Salesforceが日本で採用したメッセージの軸だ。アメリカでは「CRMの革命」「クラウドが全てを変える」というトーンで知られていたが、日本では「パートナーエコシステム」と「顧客の成功」を前面に出した。自社の技術力を誇示するのではなく、日本企業と一緒に成果を出す姿勢を見せた。
このメッセージの差は、翻訳では生まれない。日本市場を理解した上での戦略的な判断だ。
メディア戦略も「翻訳」では機能しない
企業メッセージだけではない。メディアへのアプローチもまったく変える必要がある。
あるグローバルセキュリティ企業の例が典型的だ(私のお客様というわけではないが社名はこの記事では伏せる)。この企業はアメリカとヨーロッパでは、英語のホワイトペーパーを大量に配信し、ウェビナーを開催し、業界メディアにピッチする、という標準的なBtoB PRの手法で成功していた。
日本に同じ手法を持ち込んだところ、ほとんど手応えがなかった。
日本のPRチームが取った戦略はまったく違った。IT Media向けにセキュリティの専門記事を寄稿し、日経xTECH向けに日本企業の導入事例をスポンサードコンテンツとして掲載し、ビジネスソフト比較サイトに情報を提供した。つまり、日本の読者が信頼する媒体に、日本の読者が求める形式で、日本の文脈に合った内容を届けた。
ホワイトペーパーの内容が悪かったわけではない。日本のBtoBメディアの構造と、意思決定者が情報を得る経路が根本的に違うのだ。
ちなみに、日本のメディアにはもう一つ独特な特徴がある。欧米ではオピニオン記事(Op-Ed)が企業のソートリーダーシップを示す重要な手段だが、日本のメディアは基本的に「事実の報道」を重視する。企業の主張をそのまま載せるオピニオン記事は一般的ではない。だから、欧米で通用した「CEOのオピニオンピースをメディアに寄稿する」という手法も、日本ではそのままでは使えないことも多い。
広告でも同じことが起きる
参考までに、広告の世界でも同じ構造の成功と失敗がある。
Appleは「Get a Mac」キャンペーンの日本版で、アメリカ版の「MacがPCを直接からかう」トーンを完全に変えた。日本版のMac役は控えめで、PC役がちょっとした失敗をしても気づかないふりをする。メッセージの核(Macの方が優れている)は変えずに、表現方法を日本の感性に合わせて設計し直した。
これはうまくいった事例。
一方、Nikeは2020年に日本の差別やいじめをテーマにした動画を公開し、大きな炎上を経験した。グローバルのDEIメッセージをそのまま日本に持ち込んだ結果、「日本のことをよく知りもしない外国企業が日本社会を批判している」という反応を引き起こし、ボイコット運動にまで発展した。メッセージの内容の善し悪しではなく、「誰が」「どの立場から」発信するかが、日本での受け止められ方を決定的に左右する。
本社が見ているものと、日本チームが見ているもの
私のいる広報PR業界では、こうしたギャップは日常的に発生する。
本社は「グローバルで統一されたブランドメッセージ」を重視する。当然だ。ブランドの一貫性はグローバル企業にとって生命線であり、各市場が好き勝手にメッセージを変えたら、ブランドが崩壊する。
一方、日本チーム(あるいは私たちのような外部のPRパートナー)は、そのメッセージが日本で「どう響くか」を見ている。文法的に正しいかではなく、文化的に適切か。日本のメディアが取り上げたいと思うか。日本のビジネスパーソンが「この会社は私たちを理解している」と感じるか。
この二つの視点は、どちらも正しいがしばしば衝突する。
よくあるパターンはこうだ。
本社がプレスリリースを送ってくる。CEOの強気な引用文がついている。「我々は日本市場を変革する」「革命的なソリューションを提供する」。英語の文脈では力強く、自信に満ちた良いコメントだ。
日本語にすると、ほぼ確実に浮く。「変革」「革命」という言葉は、日本のBtoBコミュニケーションでは大げさに聞こえるし、実績がないうちにそう名乗ること自体が信頼を損なう。日本では「何をしてきたか」で語る方が、「何をするつもりか」で語るよりも圧倒的に説得力がある。
溝は埋められる。ただし、通訳ではなく「翻案者」が必要
本社と日本チームの間にある溝は、構造的なものだ。グローバル企業である以上、この溝は常に存在する。
問題は溝があることではなく、その溝を「翻訳」で埋められると思い込んでいることだ。
必要なのは翻訳者ではなく、いわば「翻案者」だ。原作の核を理解した上で、まったく別の表現に作り変える人間。映画で言えば、字幕翻訳者ではなく、リメイク版の脚本家に近い。
Uberには日本市場を理解した上でメッセージを再構築する体制がなかった(あるいは本社がそれを許さなかった)。Salesforceにはあった。その差が、日本市場での10年の差になっている。
私たちPRエージェンシーの仕事は、まさにこの「翻案」だ。本社の意図を正確に理解し、日本のステークホルダーに届く形に再構築する。本社に対しては「なぜこう変える必要があるのか」を説明し、日本チームに対しては「本社が本当に伝えたいことは何か」を共有する。
その橋渡しが機能しているかどうかで、日本市場でのブランドの評価は大きく変わる。
翻訳の精度の話をしたいのではない。何を強調し、何を控え、どのトーンで、どの文脈に置くか。その判断には、日本のステークホルダーが何に反応し、何に反感を持つかという肌感覚が要る。AIがどれだけ進化しても、その判断は当面の間、その市場を知っている人間にしかできないと思っている。
