何故人々はマスクを外さないのか②社交不安における安全確保行動として
前回の記事で、マスク装着が安全確保行動になってしまっているケースが多いのではないか、という話題に触れた。そこで、社交不安、安全確保行動とは何か、そして両者にはどのような関連があるのか、について明確にしなければならない。
ところで、マスク装着が社交における不安を和らげる、というのは、イメージできる人とできない人がいるのだろう。実は私自身は前者である。
私は職業柄、感染症罹患者の診察や感染防御が必要な処置を行うときはもちろん、自分に熱がなくても感冒症状があるとき、当直後の疲れた表情を隠したいとき、髭が伸び放題で人前に出るレベルでないと感じたとき、などに、不織布マスクをつけて診察していた。その際、マスク装着によって自身の対人ストレスが著しく軽減していることを感じていた。
コロナ対策禍以前に、私が診察時に常時マスクを装着していなかったのは、「他者との会話、会合、および会食の際にマスクを着用することに不快感を覚える人は多かった(堀井, 2012)」のが理由の一つだ。もちろん、顔を隠していたら非言語コミュニケーションがとりにくいので装着していなかった、というのが最大の理由だが。
半強制的にマスク装着させられた結果、むしろマスクが社交に対する不安を軽減する効果があることに気づいてしまった。しかも2年以上もの間、心置きなくマスクをつけることができていた。それを今更外せと言われても困る・・・という人が多いとしても、「そりゃそうだろうねぇ・・・」としか思えない。
2007年に米国で行われた調査によれば、私が罹患している双極性障害において、不安障害は74.9%に併存し、その中で社交不安障害が37.8%と最も多いらしい。なので、私もその傾向があるのかもしれないな・・・
本題に戻る。まずは疾患としての社交不安障害について考える。これは社会不安障害と表記される場合もあるが、共にsocial anxiety disorderの訳である。DSM-5(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 5th Edition)に診断基準が掲載されている。ここは正確を期したいので全文掲載するが、診断する立場でなく、社交不安という状態について知りたいだけであれば、ひとまず太字に示した点を把握しておけばいいと思う。
A.他者の注目を浴びる可能性のある1つ以上の社交場面に対する、著しい恐怖または不安。例として、社交的なやりとり(例:雑談すること、よく知らない人と会うこと)、見られること(例:食べたり、飲んだりすること)、他者の前でなんらかの動作をすること(例:談話をすること)が含まれる。 注:子どもの場合、その不安は成人との交流だけでなく、仲間達との状況でも起きるものでなければならない。
B.その人は、ある振る舞いをするか、または不安症状を見せることが、否定的な評価を受けることになると恐れている(すなわち、恥をかいたり恥ずかしい思いをするだろう、拒絶されたり、他者の迷惑になるだろう)。
C.その社交的状況はほとんど常に恐怖または不安を誘発する。 注:子どもの場合、泣く、かんしゃく、凍りつく、まといつく、縮みあがる、または、社交的状況で話せないという形で、その恐怖または不安が表現されることがある。
D.その社交的状況は回避され、または、強い恐怖または不安を感じながら堪え忍ばれている。
E.その恐怖または不安は、その社交的状況がもたらす現実の危険や、その社会文化的背景に釣り合わない。
F.その恐怖、不安、または回避は持続的であり、典型的には6ヵ月以上続く。
G.その恐怖、不安、または回避は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こす。
H.その恐怖、不安、または回避は、物質(例:乱用薬物、医薬品)または他の医学的疾患の生理学的作用によるものではない。
I.その恐怖、不安、または回避は、パニック症、醜形恐怖症、自閉スペクトラム症といった他の精神疾患の症状では、うまく説明されない。
J.他の医学的疾患(例:パーキンソン病、肥満、熱湯や負傷による醜形)が存在している場合、その恐怖、不安、または回避は、明らかに医学的疾患とは無関係または過剰である。
該当すれば特定せよ
パフォーマンス限局型:その恐怖が公衆の面前で話したり動作したりすることに限定されている場合
疾患として診断されずとも、複数の項目が該当してしまう人は、特に若い人で多いのではないだろうか?朝倉による総説「社交不安障害の診断と治療」(精神神経学雑誌 第117巻 第6号(2015) p413-430)を参照する。https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1170060413.pdf
我が国においては同様の状態を「対人恐怖」として長年研究されてきた。我が国の文化的背景に密接に関連していると考えられてきたが、「社交不安障害」という疾患概念が成立して以降は、世界各国で発症頻度は高いことが明らかになってきたそうである。特に、DSM-5において、パフォーマンス限局型の設定や、B項目の「他者に迷惑をかけることを恐れる」という加害性について言及されていることで、「社交不安障害」は我が国の「対人恐怖」を組み入れる方向で考えられてきている、という。なので、「社交不安」は「対人恐怖」と言い換えてしまった方が、我が国では一般的には分かりやすいかもしれない。
社交不安が強まるときの認知と行動の関連を示す認知モデルは、ClarkとWellsのモデル(Clark& Wells, 1995)が有名なようだ。これについても、上記総説が非常に詳しいので、引用させていただく。

「社交不安障害患者は恐れている社交的状況に接すると、「(略)皆に好かれなければ、自分には価値がない(略)」などの患者自身の社交的状況に関連する一連の思い込みを活性化する」
「これらの思い込みのために、社会不安障害患者は、通常の社交的状況における対人関係も否定的に解釈し危険のサインとみなし、不安のプログラムが活動し始める」
「それは、3つの相互に関連する構成要素からなる」
「第1は、危険を察知することによって始まる身体的、認知的な不安症状」「赤面、振え、動悸、集中困難感、何も考えられない感じなどが起こり、これらが、それぞれ察知された危険のさらなる原因と考えられ不安が維持される悪循環が形成される」(つまり、緊張による身体的な反応や気持ちの焦りなどが起こることで、より不安が増幅される、ということ)
「第2は、社交的状況に対する脅威を減らすためにとる安全確保行動を含めた回避行動」
「第3は、自己を社会的対象として処理する過程とされる」(どういうことかというと)「自己の注意が他者の視点にシフトしてしまい、不安時に生じる内部感覚的な情報を使って、他者からみる自分自身の印象を作ってしまう。」(例として)「自己に注意が集中するために、口の周りの筋肉が緊張するのを感じるとすぐに、この感覚は誰の目にも明らかな引きつった表情のイメージにつながること」「そして、その自分自身についての印象は、実際に他者が患者について考えていることが反映されていると思い込む」(つまり、事実と一致しない自己イメージを作り上げてしまう)
「この閉じたシステムの中で自己の内部で作られた情報によって自分が否定的に評価される危険があるという信念が強化され、実際の社交的状況で起こっていることは見過ごされてしまうことが多くなる」(ゆえに、非友好的に見られてしまうなど、このシステムが維持されていることが自分自身にとって不利益を生みだしているにも関わらず、それに気づくこともシステムを止めることもできない)
・・・よく考えられたシステムだと思う。このシステムの存在を意識しない限り、社交不安は維持、増幅されていく。
第2の要素である安全確保行動について、上記総説ではあまり詳しく述べられていないので、岡島らによる総説「社会不安障害における安全確保行動の役割」(行動療法研究 第34巻 第1号(2008年)p43-54)を参照する。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjbt/34/1/34_KJ00008938127/_pdf/-char/ja
安全確保行動とは、恐怖場面で生じる不安を十分に軽減したり、破局的な結果をうまく避ける目的で患者が用いている行動(Clark& Wells, 1995)である。「破局的」とはあくまでも自分自身にとって、であり、手の震えや表情の変化が相手に気づかれることなどを指すようだ。
安全確保行動が前記したシステムの重要な構成要素として機能している理由としては、以下の2点。
・破局的な結果が起こらなかった場合に、「考えていたよりもその状況は怖いものではない」と考えるのではなく、「安全確保行動を用いたおかげで起こらなかった」と考えてしまう(Salkovskis, 1991)こと。
・安全確保行動を行うことにより、他者に気づかれたくない症状(振え、赤面など)や気づかれたくない行動の結果(恥をかく、拒否されるなど)に関する自身の考え方が不合理であることを体験することができなくなってしまう(Clark& Wells, 1995)こと。
同じように不安軽減を目的として行う行動に「対処行動」がある。対処行動は不安を適切に処理する行動であり、安全確保行動のように「対処行動を行わなければ破局的な結果が起こっていた」というような否定的な概念に結びつくことはない、という点が2者の大きな違いである。ゆえに、行動そのもので区別することはできす、その行動が患者自身において、どのような役割を果たしているか、で判断するしかない。つまり、不安を和らげるために水を飲んだりする場合であっても、ある人にとっては「対処行動」となるが、別の人にはとっては「安全確保行動」になり得るのだ。
以上より、マスク装着が安全確保行動になっている場合、マスクを装着し続けていることが社交不安を維持、増悪するかもしれない。さらに、外すことで「破局的な結果が起こる」と感じているがゆえに、自己の意思で外すことができなくなっているかもしれない。という懸念が生じる。
もちろん、社交不安障害という疾患に対する概念を安易に一般化するのは問題があるだろうし、社会経験を積んだ世代であれば、対処行動として対応できる、つまりメリットを感じながらもマスクを外すことができる人の方が多いかもしれない。しかし、コロナ対策禍以前の社交経験がまだまだ少なかった若年者(特に思春期やそれ以下の年齢の人々)にとってはどうなのか?ある程度、マスクを外さざるを得ない環境を大人が提供する必要があるのではないか??だから、まず大人が外さなあかんやろ!!、と。
そして、前回の記事の繰り返しだが、「口周りの情報は表情判断に有効な手がかりになることが既に報告されている。また、マスク非着用顔に比べて、着用顔の人物同定は困難であること、発話音声が劣化することも既報告にある。つまり、マスクの着用は対面コミュニケーション時の言語的・非言語的情報の双方を損なう。」のである。
我々大人はこの2年以上に渡り、次世代に深刻な禍根を残した可能性がある。そして、それが表面化するには、しばらく時間がかかるだろう。ロスジェネ問題のように・・・
次回は、マスクを外せない要因として「感染脆弱意識」というものに注目したい。
