黒澤明💫『天国と地獄・裏話 1』
黒澤監督のもとで 長年スプリクターを勤められた
野上照代さん著「もう一度、天気待ち」
その他より 抜粋させて頂きました。
超簡単 導入部までのあらすじ
大手シューズメーカー社長・権藤(三船敏郎)に
お前の息子を誘拐した、身代金を払えと電話が入るが
犯人が間違えて 誘拐したのは
権藤のお抱え運転手の息子だった。
だが 犯人は間違えを認めたうえで
権藤に3千万の 身代金を要求する。
しかし権藤は今
近く開かれる株主総会で 経営の実権を握るため
翌日までに5千万円を送金しなければ
地位も財産も失う 状況にあった。
デパートの配送員に扮した刑事たちが
権藤宅にひそみ 捜査を模索する中
苦しい選択を迫られた権藤は
人道上、遂に身代金を払う決意をする・・・
〇
1963年の元旦『椿三十郎』が封切られ
同じ年の夏に
早くも『天国と地獄』の準備が始まった。
黒澤監督は
エド・マクベイン原作「キングの身代金」の中の
誰をさらおうと脅迫は成り立つ、というところに着眼し
原作からは この部分だけを貰い
後はほとんど別物になった。
シナリオは
小國英雄・菊島隆三・久板栄二郎・黒澤明の共同執筆。
『用心棒』『椿三十郎』につづき
ここでも三船敏郎、仲代達矢を主役に起用。
仲代扮する戸倉警部は 犯人への憎しみから
捕まえても死刑にはならない 身代金誘拐罪では逮捕せず
新聞記者たちにも協力を仰ぎ 犯人を泳がせ
死刑に追い込んでいく 冷静沈着なエリート警部である。
黒澤監督は仲代に
「戸倉警部は ほんとは
ヘンリー・フォンダに演ってもらいたいんだ」と言い
仲代は少しムッとして
「私はヘンリー・フォンダじゃないですからね」と
言い返した。
監督は
「それでもヘンリー・フォンダ風にやってくれよ」
しかも
「ヘンリー・フォンダにしては 君は額が狭いんだよ」と
仲代は 撮影日には 毎日、額を剃られたという。

そしてこの映画の 準主役と言えば
当時、日本最速だった「超特急こだま」だ。
「こだま」は 冷暖房完全装備で
窓はすべて固定式で開かないが
洗面所の換気窓は例外で 7センチだけ開くという構造が
映画では超重要な トリックとなっているため
脚本執筆中は 設計図とにらめっこしつつ
国鉄に何度も何度も 電話で問い合わせるので
「あなた方はいったい何者ですか」と怪しまれた。
この列車の窓 7センチの隙間から放り出すかばんは
国内大手カバンメーカー・吉田カバン創業者である
吉田吉蔵によって 特注制作されたものである。
シナリオが出来ると 正式に国鉄に相談し
撮影には全面協力を約束してもらった。
「こだま」は 中央に食堂と洗面所があり
その前後に4車両づつ、計10車両である。
その洗面所、最前車両、最後尾車両、
それぞれに8ミリも含め 8台のカメラを配置。

クライマックスでは
犯人が酒匂川の土手で見せる 子供の無事な姿を確認したら
三船は3千万円の 身代金入りの鞄を窓外へ投げる。
やり直しは出来ないのだ。
黒澤監督は
品川車庫に停車中の「こだま」で 入念なリハーサルを重ね


本番では 実際に東海道本線を走る
東京-熱海間の「特急こだま」を借り切り 撮影した。
使用料は
東京ー熱海間の全車両貸し切りの 定員乗車賃のみ
帰りは回送になるので 無料だった。
しかし 国鉄の定期ダイヤに
割り込んでの撮影だったため 失敗は絶対に許されない。
「NG一発出すと 2000万円損する」と言われたという。
撮影担当者が
本番撮影の前のテストで「こだま」に乗り
酒匂川の土手に立つ
犯人役の助監督を 16ミリカメラで撮影すると
手前に建っている
二階建ての民家の 二階部分が邪魔で
子供の姿を見えにくく しているのが判った。
さすがの黒澤さんも
これはマズイね、どうする? どうする? を連発していたが
結局、担当者がそのお宅に お願いに出向き
大道具さんが 二階部分を撤去した。
もちろん、撮影終了直後には
本物の大工さんを頼んで 復元させてもらった。
そして本番当日、緊迫のぶっつけ本番!
使用する車両は エキストラでほぼ満席。
列車が酒匂川を通過する時間は 17秒間しかない。
突っ走る「特急こだま」の車内で
スタッフも俳優も 緊張で顔がこわばっていた。
そこへ
「あと何分で酒匂川」というアナウンス。
監督の「いいか、ヨーイ!」で
三船と仲代が 洗面所へ走り
その後を 手持ちキャメラが追う。
仲代
「 子供をよく見て下さい! 子供の顔が判るのはあなただけだ!」
三船
「大丈夫だ! 俺の命と引きかえるんだ!」
ゴーゴーという車内音の中で 二人が怒鳴りあう。

酒匂川の土手に 帽子をかぶった犯人と子供が見えた。
「進一ッ!」
三船は叫ぶと、鞄を窓の隙間から外へ投げた。
悲痛なその顔に 圧倒される仲代。

三船、水道の水で ゴシゴシ顔を洗う。
この芝居は この場で思いついたという。
「こだま」が鉄橋を渡りきった。
ここで「オーケー!」と監督の声。
「いいね、大丈夫だね!」と キャメラマンに念を押し
「大丈夫です!」の 声を聞くと
「あ~、疲れたよ」と、座席に座り込む黒澤さん。
とたんにスタッフ、助手たちの緊張がとけ
「あれさー、あの時さあ」と はしゃぎ出した。
〇
「こだま」の名称は
1958年(昭和33年) 東京ー大阪間の
日帰り可能な「ビジネス特急」の 名称として一般公募された。
約93,000票もの応募があり
一位は5,957票の「はやぶさ」
二位 1,076票「平和」三位 692票「さくら」・・・と続いたが
しかし最終選考で
ぶっちぎり一位の「はやぶさ」を抑えて
374票の「こだま」に決まった。
「こだま」は木霊、つまり山彦のことであり
「1日で行って帰って来ることができる」ことから決定された。

この回 おわり
