第1回「気胸を繰り返す私に、ある日「余命」という言葉がちらついた話」
はじめまして。30代でBHD症候群(Birt-Hogg-Dubé症候群)という希少疾患の診断を受けました。
このnoteは、私と同じように気胸を繰り返している方、原因不明の肺の異常を告げられて不安な方、そしてBHD症候群について調べている方に向けて書いています。
最初は「ただの気胸」だった
ある日突然、胸に鋭い痛みが走りました。近所のクリニックを受診すると肺が萎んでいると言われ、そのまま総合病院の呼吸器外科へ。自然気胸という診断でした。
痩せた若い人に多い、再発することもある——そう説明を受けて、そのときはそれで納得していました。
ところが念のため撮ったCTに、想定外のものが映っていました。気胸の原因となる肺の外側の嚢胞だけでなく、肺組織の内側にも無数の嚢胞があったのです。担当医に「これまで見たことがない」と言われました。その言葉が、じわじわと私を追い詰めていきました。
「あと何年、生きられるんだろう」
その後の検査と診察を経て、担当医から「LAMの可能性が高い」と告げられました。
夫と一緒に調べました。進行を遅らせることはできても止めることができない、時には急激に悪化する病気。数年で酸素ボンベが必要になる可能性がある。そして難病情報センターのサイトに書かれていた「5年生存率50%」という数字。
(※ただし、日本国内では10年後生存率85〜90%という文献もあります。診断直後の私はそこまで調べが及ばず、最初に目に入った数字に打ちのめされていました。)
あと何年、生きられるんだろう——まだ診断も確定していないのに、そんなことを考えながら泣きました。
その後、自分で専門医を探し、転院し、検査を重ねました。そして遺伝子検査を経てようやく出た診断が「BHD症候群」。病院から家に帰って、ずっと寄り添ってくれた夫と二人で泣きました。長い不確かさの時間に、ようやく終わりが来た瞬間でした。
診断がついても、不安はなくならない
BHD症候群とわかってからも、気胸は繰り返しました。レントゲンで確認できていないものも含めると5回以上。すべて右肺でした。
再発のたびに突きつけられる、ある手術の選択。リスクが頭をよぎるたびに先延ばしにしてきたその決断を、ついに下したのは最後の再発のあとでした。今は手術を終えて、右肺の気胸は落ち着いています。
でも不安が消えたわけではありません。右肺は本当に手術で丈夫になったのか。左肺も、いつか同じことが起きるのではないか。飛行機移動を避けられない生活の中で、気胸のリスクを取って乗るのか、乗るのをやめるのか——答えの出ない問いと、今も毎日向き合っています。
そして、遺伝病とわかってから妊娠・出産した
BHD症候群は遺伝性疾患です。子どもに50%の確率で受け継がれる可能性がある。そうわかったうえで、妊活するのかどうか。妊娠中に気胸になったら。出産のいきみで肺に穴が開いたら。そのリスクをどう医療関係者の方々と共有し、どう乗り越えたか。
これも、いつか書きたいと思っているテーマのひとつです。
このnoteで伝えたいこと
診断を受けたとき、日本語でも英語でも、ブログから論文まであらゆる情報を探しました。でも当事者の生の声はほとんどなく、論文のデータも希少疾患ゆえにサンプルが少なく、人種による発症傾向の違いや国による治療方針の違いもあって、何が自分に当てはまる正しい情報なのかわからない状態が続きました。
だから書くことにしました。
これから以下のようなテーマで発信していきます。
LAMを疑われてから、BHD診断にたどり着くまでの詳細な経緯
専門医を自力で探した方法
遺伝子検査を受けるまでの葛藤と、結果を聞いたときの気持ち
手術を決断するまでの葛藤
飛行機・旅行・仕事——BHDと日常生活の折り合い
気胸を繰り返した人にしかわからない「気胸の予感」を言語化する
遺伝病とわかってからの妊活・妊娠・出産
詳しい体験談は有料記事でお伝えしていく予定ですが、無料で読める記事も多く用意します。
最後に
このnoteはあくまで私ひとりの経験談です。同じ病気でも症状や経過には個人差があるので、参考のひとつとして読んでいただけると嬉しいです。また、医療情報については調べた内容をもとに書いていますが、私は専門家ではありません。気になることは必ずご自身の担当医にご確認ください。
今まさに気胸やBHD症候群のことで悩んでいる方がいれば、ぜひコメントやメッセージで教えてください。いただいた質問や悩みに沿った内容も、できる限り記事にしていきたいと思っています。ひとりで抱え込まないでください。
