「御為倒しか、とんだかまとゝ」
『獣ゆく細道』 椎名林檎さん、宮本浩次さんの歌詞の一部です。
先日、私はそのフレーズを身をもって痛感しました。
一部分を抜粋してしまいましたが、「ボロボロになってでも生き抜いてやれ」という意志が伝わる、力強い音楽です。
先日、友人とビデオ通話していた際、友人が体験した辛い話を聞きました。
些細な誤解から、彼女はそのコミュニティにいられなってしまったそうです。
彼女は悲しいと、涙を流していました。
ひとしきり泣いてスッキリした後、楽しい話に変わり、笑顔も見れました。
しばらくして、そのコミュニティのグループLINEに(12)の文字が目に入り、良くない予感がするから、見るのに付き合って欲しいと言われました。
予感は的中。
友人を攻撃するメッセージ、彼女を庇った人へターゲットが移り、そちらへの飛び火。
私は、人が傷つく瞬間を、LIVEで見てしまったのです。
彼女の表情が、スローモーションのようにゆっくりと崩れて行ったのを覚えています。
友人は号泣し、手を震わせ、庇ってくれた人が自分のせいで傷つけられてる様子に苦しんでいました。
最初の涙は、自分の悲しみに沈むものでしたが、二回目の涙は罪悪感に苛まれ、「私のせいで何故彼女がと」他人のために生まれた涙でした。
私は、彼女に何も声をかけられませんでした。
最近、私はnoteで記事を書くことを始めました。
自分の思いをただ思うままに書いてみたい、色んな表現を血肉としたい、みなさんの言葉を聞くのが楽しいと感じ、表現する事の奥深さや幸せを噛み締めている今日この頃でした。
でも、私は友人の前で、持てる言葉は何一つありませんでした。
気遣ってゐるやうで気遣わせてゐるんぢゃあ厭だ
自己犠牲のふりして 御為倒しか、とんだかまとゝ
私も慰めの言葉は持っています。
でも、どれも目の前で悲しんでいる彼女には相応しくありませんでした。
私の持っている言葉のストックは、きっと上滑りしてしまう。
何を言っても、恐らく友人を慰めるような力は持たず、何か言った気はしますが、酷く陳腐なものだったと思います。
御為倒し(おためごかし)=表面上は相手のためを思っているように見せかけながら、実際には自分の利益を図ること
友人のために、綺麗事を並べたとしても、「良い友人だと思われたい」という下心が、自身の中にあるように思えてなりませんでした。
泣きじゃくる彼女を目の前にし、私も呆然としている中、流れを変えたのは、友人を庇ってくれた人からの着信でした。
「電話に出て、きちんと話して。きっと、ちゃんと聞いてくれる人だから。」
私たちのビデオ通話は中断し、その後、私は眠れない夜を過しました。
感情という、恐ろしいくらいの波に圧倒され、私の言葉は用途をなさなくなりました。
人の強い感情の前では、言葉は効力がなくなるのか?
それとも、私が未熟であり、素晴らしい言葉の扱い手であれば、彼女の救いの足しになったのか?
私は、あの時、何も出来ない自分を俯瞰していました。
少なくても、今は何も出来ない。
翌日、友人の晴れやかな報告があり、私も安堵しました。
次は、もっと楽しく話そう!と言ってくれて、多少は元気が出たかな。
言葉が私を救ってくれたこともありますが、
私は友人に救いの言葉はあげられませんでした。
無力を感じた、とある日の出来事でした。
今回、私の中の言葉は敗れたけれど、
それでも私は、言葉との根比べを続けます。
