ゆきかえりのハナシ 浜松松尾神社 1300年城下の産土

浜松に1300年前からの神社がある
名前は浜松神社
今は松尾神社と呼ばれ 場所も少し変わった でもその神はずっとそこにいる
浜松市民のほとんどがこのことを知らない
浜松神社という名前だったこと
創建は和銅年間 708年から715年のあいだ
旧称は浜松神社 最初の社地は塩市口 今の市役所別館のあたりにあった
浜松という街の名前を冠した神社が 浜松市民にほとんど知られていない これがこの社の現在地だ
松尾という名前がついた理由
明徳二年(1393年) 曳馬城に入城した松尾信濃守という城主がいた
この人物が京都の松尾大社を深く信仰していて その神を浜松神社に合祀した
松尾大社の祭神は大山咋神 産業と醸造の守護神 酒の神ともいわれる
この合祀によって社のある山が松尾山と呼ばれ 城も松尾城と呼ばれるようになった
地名が信仰から生まれた一例がここにある
家康がこの社を選んだ
天正五年(1577年) 徳川家康が浜松城を改築する際 城内にあった浜松神社を現在地に移転し 松尾神社と改称した
家康の浜松在城は1570年から1586年の17年間 三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れた苦境の時代もこの浜松だった
家康は三ツ葉葵の社紋使用をこの社に許した 徳川の家紋を神社に使わせるということの重さがそこにある
御祭神には徳川家康命が配祀されている 社の由緒書にも家康公より奉納と明記されている
古文書には太刀 弓 旗を以て社殿を奉献したと記されている 神刀一口 三尺五寸 三ツ葉葵紋の彫金が施された金地の鞘を持つ刀がそれだ
この鞘は後年 本殿の改築工事の際に地中から掘り起こされた その本殿を建てたのも 刀の鞘を土の中から見つけたのも 他でもない自分だった
土の中からそれが出てきた瞬間のことは 今でも忘れない




家康の死後 元和九年(1623年)には神鏡一面 銅幣一本 扁額一面が奉納された記録も残る 扁額には金字で正一位松尾大明神と記されていたという
代々の浜松城主がこの社への奉納を絶やさなかったことが これらの記録から見えてくる
現在地に移って449年 その前の870年と合わせて この土地に1300年以上祈りが続いている

実は東照宮であること
東照宮といえば日光を思う人が多い 徳川家康を神として祀る社 全国に分布している
松尾神社の御祭神には徳川家康命が中央主神として配祀されている 由緒書にも家康公より奉納者也と明記され 東照大権現としての性格を持つ社だということが古文書から確認できる
つまり松尾神社は 実質的に東照宮としての側面を持つ社だ
ただ「東照宮」という名を表に出さず 松尾神社という名で続いてきた 日光のような知名度はない 浜松市民でもこのことを知っている人はごく僅かだ
家康が天下を取る前 苦境の時代に頭を垂れた社が 家康の死後は神として家康自身を祀る社になった その変化がこの社の中で静かに起きていた
正一位 最高位の神階
享保三年(1718年)に正一位の神階を授与された記録が残る
慶応四年(1868年) 明治天皇が浜松に宿泊された際 御使用の菊飾りが下賜され 正一位の御階が改めて授与された
家康 明治天皇 両方がこの社に深く関わっている これだけの社が城下町の一角に静かに立っている
浜松の産土神
松尾神社の由緒書にはこう記されている
濱松の産土神を祭る
産土神とは生まれた土地を守る神 今この土地に立つ人を守る神
氏子域は元魚町 肴町 成子町 平田町 塩町 旅籠町 菅原町東 西菅原町 千歳町 伝馬町など かつての浜松城下のほぼ全域
浜松の旧市街に暮らす人はほぼ全員 この社の氏子ということになる
つづく
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