日本人の物語00474【平安末期】市原合戦と横田河原の戦い
木曽義仲が決起後、最初に戦ったのが治承4(1180)年9月7日の市原合戦(長野県長野市)です。以下にその経緯を述べていきましょう。
平家方に与する信濃の豪族・笠原頼直(かさはらよりなお)は、義仲が決起したと聞き、その討伐を志しました。笠原頼直は義仲の本拠地である木曽谷を直接攻撃しようとして、信濃を出発しようとしますが、それを察知した源氏方の村山義直(むらやまよしなお)が、笠原軍の進軍を防ぐべく市原でこれを迎え討ちました。
こうして市原合戦が始まりました。
なかなか決着がつかない中、矢が尽きて劣勢となった源氏方の村山義直は、木曽谷に援軍を要請しました。これに応じた義仲は、大軍を引き連れて現れます。
勝ち目がないほどの兵力差だったため、笠原勢は即座に退却し、越後の豪族・城長茂(じょうながもち)の元へと逃げ込みました。
城長茂は、越後における有力豪族でした。兵の動員力は、笠原勢よりはるかに大きく、なかなかの強敵です。
城長茂は義仲軍を討伐しようと、1万の大軍を率いて信濃国にやって来ました。そして千曲川岸にある横田城(長野県長野市)に布陣します。
一方、義仲は依田城(長野県上田市)を拠点に兵を集結させてから北上することとしましたが、その兵力は3千です。1万と3千で、圧倒的な兵力差でした。
治承5(1181)年6月13日、横田河原(長野県長野市)において両者は激突しました。横田河原の戦いです。
このとき、源氏方の井上光盛(いのうえみつもり)は何とも卑怯な奇策に打って出ることになります。
城長茂が木曽義仲を迎え討つべく陣を布いていたところ、平家方の赤旗がたくさん近づいてきました。長茂はこれを見て
「まだ我々に味方する勢力がいたのか」
と喜んでいましたが、近づいてきた赤旗は突然反転し、白旗に変わりました。白は源氏方を意味するものです。
城長茂軍は、油断していたところを攻撃されて大敗を喫しました。
こうして、城長茂率いる1万人の軍は、義仲率いるたった3千人の兵に敗れたのです。
ちなみに、運動会などで紅白に分かれて戦うのは、平家が赤旗、源氏が白旗を使っていたことに由来するといわれています。
