日本人の物語01334【室町/義持期】称光天皇を襲う変事
今日は「ほんとにあった怖い話」みたいなエピソードです。
これまで述べてきたように、称光天皇はその生涯のうちにたびたび危篤状態に陥ったわけですが、その原因についてあまりに突飛な話が記録されています。
まず応永25(1418)年10月に称光天皇が風邪をこじらせた際、その原因として
「厠で下半身のない化け物と出会い、その化け物に話しかけられたことをきっかけに体調が悪化した」
というのです。さすがに妄想の類かと思ったところ、なんと同じ化け物を白川資雅(しらかわすけまさ:1895~1419)も見ているというので、単純な妄想というわけでもなさそうです。ちなみに白川資雅は約半年後に25歳の若さで病死しています。
次に応永32(1425)年7月に称光天皇が危篤となった際、天皇が遭遇した2つの不思議な出来事が記録されています。
1つは
「化け物のような尼が現れて消えた」
という前回と似たような話。もう1つは
「亀が現れて天皇に食いついてきたため、天皇は甲羅に乗ってその亀と格闘した。乱闘の末、天皇は気絶してしまい、そのまま危篤状態となった」
というものです。いずれも伏見宮貞成親王が噂話として日記に記しており、およそ信じがたい話ではあるものの、当時まことしやかに語られた噂のようです。南朝最後の天皇である後「亀」山天皇の呪いでしょうか。
そして応永34(1427)年1月には、それまでの怪談とは種類の異なる事件が起こります。宮中の女官が朝餉の間に入ったところ、誰もいないはずの清涼殿の中から人の声が聞こえてきました。不審に思った女官が障子を開けてみますが、誰もいません。
その女官はさらに几帳(きちょう)の内側を覗いてみました。几帳というのは薄い絹でできた間仕切りのことです。
几帳をめくった女官は仰天しました。なんと髻(もとどり)をあらわにした姿の男が横になって寝ていたのです。男はそのまま身柄を確保されました。
男の素性を探ってみたところ、絵師として有名な土佐行広の甥であることが判明しました。土佐行広の話によると、この甥は病気で狂人と化してしまったといいます。男は行広に預けられましたが、清涼殿への侵入を許してしまったことは宮中の一大不祥事となりました。
称光天皇がたびたび遭遇した変事、特に下半身のない化け物や巨大な亀は何だったのでしょう。土佐行広の甥は真に清涼殿に迷い込んだだけだったのでしょうか。真相は分かりませんが、いずれにせよこうした変事が天皇の精神を乱し、寿命を縮めた可能性は否定できません。
土佐行広は日本史教科書にも出てくる有名な画家なのですが、本稿は政治史・戦乱史に焦点を当てる連載であって文化史は対象外なので、多分ここでしか登場しません。
【追記】
調べてみると、01282回に土佐行広が登場していました。二度目の登場だったとは。
