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日本人の物語01018【南北朝前期】打出浜の戦い 将軍の敗北

本当に不思議な戦いです。なぜあの戦上手の尊氏が、戦下手の直義に負けてしまったのか、理解に苦しみます。

 尊氏方の薬師寺公義は、味方がどんどん逃げ出していっても少しも慌てませんでした。一旦波打ち際まで退いたところ、石塔・畠山といった敵軍が、
「あそこに見える旗は薬師寺だ。一人も逃がすな」
と言って追いかけてきました。薬師寺公義ら250騎は、敵が近づいてくると一斉にさっと馬を返して戦い、敵が前を遮ると一斉にわっと叫んで駆け破り、16回も馬を返して戦いました。薬師寺軍は次々と討たれ、僅か6騎にまで減ってしまいました。
 彼ら6騎は、味方の松田左近将監(まつださこんしょうげん)が討たれそうになったのを見て、果敢にもこれを救い出しました。その後7騎で休んでいると、郎党たちが援軍に駆けつけて、また百騎ほどに増えました。敵も戦意が萎えたらしく、それ以上追っては来ませんでした。
 『太平記』は「こうして数に勝るはずの尊氏軍は敗れた」と書いてあるのですが、例によって『太平記』の記述ですから、当然疑ってかかるべきです。2万騎と7千騎の戦いで、2万騎が負けるとは通常考えられません。しかし同時代の史料を見ても
「師直は股に、師泰は頭部・胸部を負傷するほどの大敗北だった」
との記述が読み取れ、本当に数に勝るはずの尊氏軍が敗北したようなのです。
 これまでの戦いでは、直義は必ず負け、尊氏が救援に来て勝つという流れでした。直義は戦下手で、尊氏は戦上手なのです。ところがその尊氏が、直義にだけは負けてしまうのです。何とも不思議です。
 『太平記』は、数に勝る側が敗北したことについて、実はこんな伏線があったのだと記述しています。
「高師夏と河津氏明は、戦の前にこんな夢を見た。
 どことも分からない渺々たる平野で、西には師直・師泰ら数万騎が、東には石塔・畠山・上杉ら千騎が、それぞれ布陣していた。戦いが始まった後、退く石塔・畠山らを師直・師泰が追いかけると、雲の上から錦の御旗を掲げて2人の大将を押し立てた百騎ほどの軍勢がやってきた。その大将は誰かと見ると、片方は吉野の金剛蔵王権現。もう片方は天王寺の聖徳太子であった。
 師直・師泰らは聖徳太子の軍勢に襲い掛かったが、金剛蔵王権現が兵に命じて放った矢が、師直・師泰・師夏らの眉間の真ん中に当たり、皆戦死してしまった」
 こうした不吉な前兆があった時点で、師直らの敗北は確定していたのだ、と『太平記』は言いたいようです。

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