見出し画像

日本人の物語00718【鎌倉後期】95代花園天皇(持明院統)

 得宗貞時が酒浸りの生活をしていた徳治3(1308)年8月には、将軍と天皇両方の交代がありました。
 まず8月10日に8代将軍久明親王が更迭され、その子で7歳の守邦親王(もりくにしんのう:1301~1333)が9代将軍となりました。
 ここで源氏将軍を除く歴代将軍の就任時年齢と退任時年齢を再掲しておきましょう。
・4代将軍九条頼経: 7歳で就任し26歳で退任
・5代将軍九条頼嗣: 4歳で就任し12歳で退任
・6代将軍宗尊親王: 9歳で就任し23歳で退任
・7代将軍惟康親王: 2歳で就任し25歳で退任
・8代将軍久明親王: 12歳で就任し31歳で退任
 北条氏が一貫して「将軍は幼児であってほしい」との意図を持っていることが分かります。久明親王の退任はむしろ遅かったくらいでしょう。
 久明親王は京に送還されて出家したそうですが、この将軍交代劇は極めて平穏なものでした。特段、「親王がひどく悲しんだ」というエピソードも残っていません。8代目ともなると、「成長したら将軍を退任して京に送還」というルールがもはや既知のものとなっており、特段ショックを受けることもなかったということでしょう。
 将軍交代に続き、8月25日には天皇の譲位がありました。京で後二条天皇が病のため23歳の若さで崩御し、皇太子・富仁親王が即位したのです。花園天皇です。
 こうして皇位は大覚寺統から持明院統に移動しました。ここで皇太子を決めなければなりませんが、どちらの統から出すべきか、執権師時は寄合を開いて議論しました。
 振り返ってみれば、これまで皇位は
「後深草(持)→亀山(大)→後宇多(大)→伏見(持)→後伏見(持)→後二条(大)→花園(持)」
と継承されてきました。後嵯峨上皇が次男の亀山上皇を可愛がっていたことから大覚寺統が優遇され、その後は持明院統の京極為兼が平頼綱と結びつき幕府工作に成功したことから持明院統が優遇され、さらにその後は大覚寺統の西園寺実兼が北条貞時と結びつき幕府工作に成功したことから大覚寺統が優遇されたわけです。しかしこの頃には京極為兼は失脚し、西園寺実兼は出家しており、もはや精力的に幕府工作を行う公家はいません。幕府内で一方の統派に肩入れする者がいなくなり、中立となりました。
 幕府は両統に平等に接するため、皇太子を大覚寺統から出すことに決めました。ここで、大覚寺統の中でも一体誰を皇太子に据えるのかが問題となったのです。
 いよいよ、南北朝時代を駆け抜けたあの人物がここに初登場することとなります。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集