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日本人の物語00765【鎌倉末期】聖徳太子未来記

 隅田・高橋軍の敗北を見た六波羅は、次に宇都宮公綱(うつのみやきんつな:1302~1356)を送り込むこととしました。宇都宮が京を出発したのは元弘2/正慶元(1332)年7月19日のことです。隅田・高橋が5千騎だったのに対し、宇都宮は僅か700騎。
 楠木正成の側近・和田正遠が
「5千騎に勝利した我々は700騎を恐れる必要はない」
と述べますが、これに対し正成は
「油断はならぬ。5千騎で負けた敵に700騎でやってくるとは、死ぬ気で合戦を挑んでくるはずだ」
と答えました。さすが正成、油断がありません。
 天王寺にやって来た宇都宮軍に対し、正成は軽く戦ってあっさり撤退して行きました。例によって、敵を深くに引きずり込んで戦う作戦です。ところが宇都宮公綱はひどく慎重で、この罠に乗ってきません。
 宇都宮は、ここから南下すると狭い山域に入ってしまうこととなる一方、かといって撤退するわけにもいかず、天王寺で野営を始めました。
 敵が罠にかかって来なかったため、正成は次なる作戦に出ました。敵の近くで毎晩かがり火を炊いて、宇都宮軍にいつ夜襲をかけるか分からないと思わせたのです。
 もとより合理主義の権化である正成には、宇都宮軍と戦うつもりがありませんでした。戦わずして相手を撤退させるためには、神経戦が最も効果的と考えたのです。
 このかがり火の作戦に、宇都宮公綱はひどく苦しみました。毎晩夜襲に備えて兵を眠らせずにいたため、疲労が激しく、しばらくして宇都宮はやむなく撤退を決断したのでした。
 『太平記』は、この時期に楠木正成が『聖徳太子未来記』という書物を読んだというエピソードを記しています。聖徳太子が未来を予言したとされる書で、
「95代目の天皇の時代に天下は乱れる。東から魚がやって来て、全ての海を我が物とする。日が西に沈んで370日後、西から鳥が来て東の魚を食べる。天下統一後3年して、猿が天下をかすめとり、30年後に国は本来の治世に戻る」
という言葉が載っていたというのです。
 まず95代目の天皇というのは後醍醐天皇のことです。現在後醍醐は96代目とされていますが、当時、弘文天皇と仲恭天皇は歴代に数えられておらず、一方で神功皇后を歴代天皇に数えていたので、後醍醐は95代目とされていたのです。
 東からやって来る魚とは、鎌倉幕府のことでしょう。そして、後醍醐天皇が隠岐に流されてから370日後に鎌倉幕府が滅ぶというのです。さらに、それから3年後に天下をかすめとる猿というのは、きっと足利尊氏による室町幕府成立を予言しているのでしょう。

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