日本人の物語00243【平安前期】平安前期概観
今回から平安時代が始まることになります。
第50代桓武天皇が平安京を遷都した延暦13(794)年から、源頼朝が鎌倉幕府を築く元暦2(1185)年までを「平安時代」と呼びます。ちなみに、かつては鎌倉幕府成立を建久3(1192)年とみる考えが主流でしたが、最近は元暦2(1185)年とされています。
平安時代は391年間も続くので、いくつかに分けて扱おうと思います。まずは平安京に遷都される延暦13(794)年から醍醐天皇が崩御する延長8(930)年までを「平安前期」とします。藤原氏が謀略によって他氏を排斥していく時代ですね。
平安時代前期の天皇は次のとおりです。
・第50代桓武(かんむ): 在位781~806
・第51代平城(へいぜい): 在位806~809
・第52代嵯峨(さが): 在位809~823
・第53代淳和(じゅんな): 在位823~833
・第54代仁明(にんみょう): 在位833~850
・第55代文徳(もんとく): 在位850~858
・第56代清和(せいわ): 在位858~876
・第57代陽成(ようぜい): 在位876~884
・第58代光孝(こうこう): 在位884~887
・第59代宇多(うだ): 在位887~897
・第60代醍醐(だいご): 在位897~930
桓武、平城、嵯峨の3代の天皇は強烈な個性で自ら政治運営を牽引し、新たな制度を次々と導入しましたが、その後の淳和、仁明、文徳、清和、陽成、光孝は、あまり表立って政務を取り仕切ることをしませんでした。その間は、藤原良房(よしふさ)と、その甥に当たる藤原基経(もとつね)が、摂政や関白となって権勢を振るうようになります。
藤原良房と基経は、政治的謀略によって他氏を次々と排斥していきました。この時代の文献をいくら読んでも、政治家たちが国をどう形作るかを真剣に議論した様子はみられません。ひたすら権謀術数に明け暮れていた印象があります。
そうした中で、私有地が増加して公地公民制が崩れ、財政が破綻し、貧富の差が拡大していき、律令政治はその限界を露呈していくのです。
次の宇多天皇は、藤原氏ではなく菅原道真を重用しますが、藤原時平が謀略によってそれを葬ります。時平の死後は醍醐天皇が自ら親政を振るい、財政再建のための改革を打ち出し、「延喜の治(えんぎのち)」と称されました。以上が、平安前期の大まかな流れです。
次回から、これを詳しく見ていきたいと思います。
