日本人の物語01322【室町/義持期】小栗判官伝説 熊野権現
太空が小栗判官を熊野に運ぶ方法がなかなか賢いです。
太空は、息も絶え絶えの小栗判官の体を車に乗せ、
「この者は熊野の湯に向かう病人である。少しでも車を引いて助けた者には、千の僧への供養にも勝る功徳が与えられる」
と記した札を車に据え付けました。すると街道沿いの人々は次々とこれを助け、熊野に辿り着いた判官は温泉の効用と熊野権現の力によって生き返りました。
判官は身の潔白が認められ、再び常陸の領地を与えられました。その後、横山を討ちとった判官は、下女として働いていた照手姫を探し始めます。
あのとき横山の犯罪を目撃した照手姫は、一味に捕まり侍従川(神奈川県平塚市)に沈められたところをたまたま漁師に助けられますが、その漁師の妻から虐待されていました。妻は夫と照手姫の仲を疑い、裏庭の松の木の枝に姫を吊るし上げ、その下に松の枝葉を積み上げて火をかけ、いぶし殺そうとしました。その場所は現在、金沢八景駅(横浜市金沢区)の近くの「姫小島」と呼ばれるところです。
照手姫はどうにか殺されずに済んだものの、その後は六浦浜(横浜市金沢区)で人買いに売られてしまいました。どうにか照手姫を探し出した判官は姫を人買いから取り戻し、結婚して常陸で幸せに暮らしました。
小栗助重にこのようなエピソードが作られたのは、「無実の罪で討伐された」と広く信じられていたからでしょう。
なお、異説では照手姫から横山による毒殺計画を知った小栗判官は、その場から逃げ出して辛くも助かり、照手姫と結婚して幸せに暮らしていたものの、その後眼病を患って熊野大社に参詣する、という話もあります。
この小栗判官の伝説は、小栗(茨城県筑西市)にはほとんど伝わっていないのに、熊野で語り継がれてきたようです。事実、熊野周辺には小栗判官の関連史跡が多くみられ、
〇小栗判官が湯治をしたといわれる「小栗の湯」
〇小栗判官が歩けるようになったので車を捨てた場所といわれる「小栗判官車塚」
〇体が良くなり、力試しに持ち上げた「小栗判官力石」
〇照手姫が小栗判官の髪を結うのに使った藁を捨てたところに、ひとりでに稲が生え、それ以降種を蒔かなくても毎年稲が生える「小栗判官蒔かずの稲」
などがあります。
そして小栗判官の伝説を一挙に有名にしたのが、江戸時代の近松門左衛門が書いた戯曲『当世小栗判官』でした。このスト―リーに夢中になった民衆たちが、熊野詣での際に小栗判官関連の史跡を巡るようになったと考えられます。
かつては熊野詣でといえば小栗判官だったのかもしれませんが、今はどの観光地に行っても子供連れがポケモンマンホールの写真を撮っている光景を見かけます。
