日本人の物語01633【室町/西国/六角征伐】童貞と魔法使いの関係
細川政元の変人伝説です。全て同時代の史料に根拠があるので史実の可能性濃厚です。
続いて、三管領(斯波・細川・畠山)それぞれの動向を見ていきましょう。
細川家では当主勝元を失ったため、その嫡男の聡明丸が家督を継ぎました。聡明丸は細川政国の後見の下で育ち、文明10(1478)年7月に元服して「政元」と名乗りました。
この政元はあまりに変人であり、数々の伝説が残っています。伝説といっても同時代の人の日記に残された話ばかりですから、いずれも史実と考えられます。箇条書きで紹介していきましょう。
〇烏帽子をかぶるのを嫌がった
この時代、烏帽子をかぶらずに頭髪を相手に見せるのは恥とされていましたが、政元は烏帽子を嫌がって一切かぶりませんでした。
〇「天狗になりたい」と言って、怪しげな修験道「天狗の法」に凝った
あるとき、政元が山伏とともに寺に籠もって祈っていたのを目撃した公家の証言によると、政元は「張良化現大天魔源義経神」と謎の言葉が書かれた短冊を用いており、公家は怖くなって逃げ出したといいます。
〇「魔法を使えるようになりたい」と言って、女性との交わりを絶った
原文では「管領細川右京大夫政元は、四十歳の比まで女人禁制にて、魔法・飯綱の法・愛宕の法を行ひ、さながら出家の如く山伏の如し」と書かれている部分です。40歳まで女性を絶てば魔法が使えるというのです。『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』という漫画の元ネタは案外これかもしれません。
当主たる者、子をもうけて家を継がせなければならないはずですが、政元は妻を持たず一切子作りをしませんでした。これが政元の死後に家督争いが起こる原因となります。
〇将軍義澄の官位昇進を無駄と主張した
文亀2(1502)年7月12日に11代将軍義澄(将軍就任の経緯については後述)は参議・従四位下・左近衛中将となったのですが、その際義澄が「朝廷に返礼の拝賀に行きたい」と主張したところ、政元は任官自体を「無益のこと」と言い切り、反対しました。政元は官職にも位階にも意味を見出さなかったようです。
〇天皇の即位式も無駄と主張した
同じ文亀2(1502)年の6月、後柏原天皇(即位の経緯については後述)が大嘗会(即位式)を行いたいとの意向を示したのに対し、これまた「無益」と言い切りました。天皇の不興を買ったのは言うまでもありません。
このような人物に、三管領筆頭となった細川京兆家の家督が務まるのでしょうか。
細川政元は大河ドラマ「花の乱」に登場しました。天狗の法だと言って木から飛び降りるシーンがありました。
