見出し画像

日本人の物語01108【南北朝後期】南北朝後期概観

「後期」と銘打ってはいますが、56年間(1336~1392)続く南北朝時代のうち、本章で扱うのは24年目から32年目までなんですよね・・・。それって後期じゃなくて中期では?

 有力守護の更なる離反ドミノが始まる正平15/延文5(1360)年5月28日から、後村上天皇が崩御する正平23/応安元(1368)年3月11日までを「南北朝後期」としてまとめます。
 南北朝中期の章では、有力守護たる山名父子や斯波高経の離反によって幕府が力を失い、そうした敵失によって南朝方が徐々に勢いを増していく状況をご覧いただきました。
 室町幕府は発足して間もないのに、もはやいつ滅亡してもおかしくない状況です。というのも、状況は鎌倉幕府の末期によく似ているのです。
・最高責任者の統率力不足
 将軍義詮は優柔不断な性格で、守護たちから高い支持を受けていません。最後の得宗・北条高時が政務担当能力に乏しく、御家人の支持を受けていなかったのと同じ状況です。
・有力者の離反が相次いでいる
 足利直義の反逆によって、直義の身内であった足利直冬、桃井直常、石塔頼房らが既に敵となっています。さらに斯波高経や山名時氏・師義は感情的な問題によって離反し、南朝方に身を投じてしまいました。これは鎌倉末期に足利・新田らが次々と離反した状況によく似ています。
 これからの8年間で何が起こるかというと、さらに
・仁木義長(備後・遠江・伊勢・伊賀・志摩守護)
・畠山国清(関東執事)
・細川清氏(執事、引付頭人、伊勢・伊賀・若狭守護)
・斯波高経(若狭守護)
という超弩級の大物たちが幕府を離反していきます。斯波高経はとっくに離反しているじゃないかとお思いでしょうが、一旦幕府に戻ってきて、再び離反するのです。さらに悪いことに、京を守る義詮と鎌倉を守る基氏との間に隙間風が吹き始めます。
 これからお話しする8年間は、室町幕府が滅びる寸前まで追い詰められた時代といってよいでしょう。かくも脆弱で内紛だらけの政権が、なぜギリギリのところで滅びずに済んだのかに着目してお読みいただくのが面白いかもしれません。
 この崩壊寸前の室町幕府が奇跡の復活を遂げるには、その後の天才的な政治家・細川頼之の管領就任を待たなければなりません。それまでの間、しばらくはヒーロー不在、有名武将も不在のどうしようもない時代をただ追いかけていくこととなります。
 また、この時代は『太平記』が記述の対象とする最後の時代となります。太平記はひたすら混乱の時代を描き、最後の最後に「細川頼之が管領に就任し、めでたく平和な時代がやってきました」と言って唐突に終わっているのです。私が戦乱の詳しい状況をくどくどと述べているのは『太平記』に詳しい記載があるからであって、この8年間を書き終われば参考文献が減り、一挙に筆の進みが早くなるかもしれません。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集