日本人の物語01338【室町/義持期】義持死す
4代将軍義持とは今回でお別れです。
満済がくじ引きを提案し、義持がそれを呑んだわけですが、義持の条件は
「自分が生きているうちは決定しないこと」
でした。
諸大名は満済の話を聞き、くじによる選出を了承しましたが、
「将軍に息があるうちに密かに神前でくじを引き、開封は没後とする」
との方針で一致しました。家督継承者の不在期間が長期化するのを避けようとの考えでしょうか。はたまた、義持が死んだ後でくじ引きを行おうとすると、各位が利害関係をもとに動いて混乱が生じるおそれがあるからでしょうか。
くじ引きが始まりました。候補者は義持の兄弟のうち、母の身分の低い尊満を除く次の4人です。
・青蓮院義円(しょうれんいんぎえん: 1394~1441)
・大覚寺義昭(だいかくじぎしょう:1404~1441)
・虎山永隆(こざんえいりゅう:1403~1442)
・梶井義承(かじいぎしょう:1406~1467)
全員が出家させられ、それぞれ青蓮院、大覚寺、相国寺、三千院(梶井門跡)に入室しています。満済はこれら4人の名を書いたくじを作って密封し、山名時熙がその紙の継ぎ目に花押を書いて封印しました。
その日の夜、管領畠山満家は用意された籤を持って八幡に到着しました。この「八幡」というのが具体的にどの社なのか伝わっていませんが、これほどの大事を並の八幡神社で行うとは思えず、もちろん石清水八幡宮であろうと考えられます(尊氏が鎌倉幕府を裏切ることを決めた京都府亀岡市の篠村八幡宮という可能性もなくはないですが、その後の室町幕府は石清水八幡宮の方を重視しています)。京から馬を飛ばせば片道2時間程度で到着するでしょう。
満家は神前でくじを一本引き、それを見ずに封印して京に戻ってきました。ちょうど義持が人事不省に陥っていた頃です。
その翌朝に当たる応永35(1428)年1月18日朝、義持は死去しました。諸大名が義持の遺体に焼香した後、一同に会してくじを開封し、そこに「青蓮院殿」とあるのを確認しました。
かくして6代将軍が定まりました。青蓮院に在所する義円が御所に呼ばれ、将軍就任への準備が始まります。後に「万人恐怖」の世を作った独裁者・足利義教です。
それにしても、将軍がくじ引きで選ばれたのはなぜだったのでしょうか。当時「くじ」にはどのような意味があったのでしょう。
畠山満家はおそらく神官の目の前でくじを引いたと思われますが、満家と神官がグルになれば結果を自由に操作できたでしょうね。
