日本人の物語00580【鎌倉前期】鎌倉殿の13人
「十三人の合議制」に名を連ねた13人の有力御家人をここに紹介しておきましょう。
〇 大江広元: 51歳
頼朝が京からスカウトした文人官僚。鎌倉幕府を組織として運用していくために不可欠な行政文書の作成や朝廷との交渉事を切り盛りしました。
〇 中原親能(なかはらのちかよし:1143~1209): 56歳
文人官僚。大江広元の兄に当たります。源平合戦の最中は京に出向き、頼朝の代官として後白河法皇との交渉に当たりました。
〇 二階堂行政(にかいどうゆきまさ): 年齢不詳
文人官僚。二階堂の名は、当時としては珍しい二階建ての仏堂があった永福寺を建立したことに由来しています。
〇 三善康信: 59歳
文人官僚。初代問注所執事として裁判事務を指揮しました。
〇 梶原景時: 59歳
武士。石橋山で頼朝を助けたことで重用され、平家追討軍の参謀役として活躍しました。
〇 足立遠元(あだちとおもと): 年齢不詳
武士。武蔵国足立郡(東京都足立区周辺)を本拠としていました。頼朝が石橋山の戦いに敗れた後、武蔵で兵を募ったときに頼朝軍に加わった人物です。
〇 安達盛長: 64歳
武士。頼朝が13歳で伊豆に流罪となったときから頼朝に付き従ってきた人物です。
〇 八田知家(はったともいえ:1142~1218): 57歳
武士。頼朝挙兵段階から壇ノ浦まで、平家追討軍にずっと参加していました。
〇 比企能員: 年齢不詳
武士。武蔵国比企郡(埼玉県比企郡)を本拠としていました。頼朝の乳母であった比企尼の息子に当たります。比企尼が流罪となった頼朝に20年間仕送りをしていたことから、鎌倉幕府に重用されることとなりました。
〇 北条時政: 61歳
武士。頼朝が伊東祐親に殺されそうになったのを匿った縁で頼朝の側近となり、さらに娘の政子が頼朝と結婚したことから、重用されました。
〇 北条義時: 36歳
武士。時政の子。最年少で十三人の有力御家人に名を連ねています。
〇 三浦義澄: 72歳
武士。相模国三浦郡(神奈川県三浦半島)を本拠としていました。
〇 和田義盛: 52歳
武士。初代侍所別当に就任しました。三浦義澄の甥に当たります。
