日本人の物語01027【南北朝前期】直義の対南朝交渉 親房強気
そういえば、直義はどういう気持ちで南朝と講和したのか謎です。かつて私は「尊氏と戦うために形だけの講和をしたのだろう」と思っていたのですが、どうも詳しく見ていくと本気で平和を構築しようとしてる気がするんですよね・・・。
さて、直義は兄と戦うために南朝に降伏したはずでしたね。とはいえ、この時点では具体的な降伏の条件についてはまだしっかりと議論できていませんでした。尊氏との対決に勝利したものの、ここから具体的な対南朝交渉を行っていかねばなりません。
少し時間をさかのぼりますが、尊氏との対決の直前に当たる正平6/観応2/貞和7(1351)年2月5日、直義は側近の長井広秀(ながいひろひで)を賀名生に派遣して、南朝への献金を申し出ました。
このとき、直義は南朝に対して「講和3条件」を提示したことが洞院公賢の日記から判明しているのですが、残念ながら3条件のうち伝わっているのは第1条の「武家管領の事」のみです。つまり「幕府を存続させてほしい」という趣旨です。この話を南朝の人々がどう受け止めたかは分かりません。
続いて3月11日、南朝方の楠木正儀の使者が、直義側近の大高重成と面会したとの記録があります。内容は分かりませんが、より具体的な和睦の条件が話し合われたとみられます。
そして4月27日、直義は楠木正儀の使者を経由して、南朝に文書を提出しました。この文書で、直義の出した条件が詳しく分かります。
直義の主張は大きく2点。1つは前述のとおり幕府を存続させること。もう1つは
「正統はあくまで北朝であるが、南朝方が帰京すればその系統は必ず残す」
というものでした。南朝方の子孫もまた、天皇になれる可能性を閉ざさないというわけです。おそらく、
「鎌倉時代のような両統迭立を再びやろう」
という提案だったものと思われます。
しかしながら、これが南朝の強硬論者たちに通るわけがありません。
5月15日、南朝の北畠親房は直義の提案書を突き返し、逆に3つの条件を突きつけました。
①今後の政権の在り方は、足利氏が非を悔い改めて天皇に政を返還した後に判断する。
②正統はあくまで南朝である。
③足利方の武士の所領を奪って南朝方に支給することはしない。全員に本領を安堵する。
③は寛容だなと思いますが、①②はなかなか強硬です。特に、
「武士たる輩、言へば数代の朝敵なり」
と『神皇正統記』に記したあの北畠親房が、武家政権である室町幕府の存在を認めるとは思えず、その親房の意向が強く反映されているのかもしれません。
