日本人の物語00588【鎌倉前期】栄西と臨済宗 禅と公案
臨済宗の特徴としては、「公案」と呼ばれる謎かけを考えることによって悟りを開くという点が挙げられます。ただ座禅を組むのではなく、謎を解くのです。
公案は現代人の我々から見ても非常に難解なものです。ここでは最も有名な公案の一つである『南泉斬猫(なんせんざんみょう)』を紹介しましょう。
南泉(なんせん:748~835)という唐の高僧が住職を務める寺で、僧たちが一匹の猫をめぐって争っていました。そこへやって来た南泉和尚は、猫の首をつかんで、
「誰か、真の道を述べてみよ。それが出来なければこの猫は殺す」
と詰め寄りました。しかし誰も答える者がないので南泉はこの猫を一刀両断に斬ってしまいました。
その夜、南泉の愛弟子であった趙州(ちょうしゅう)が外出先から帰ってきました。南泉が昼間の出来事を伝え、
「もしお前がその場がいたら、何と答えるか?」
と尋ねました。すると趙州は一言も発せず、履いていた草履を脱いで、自分の頭に乗せて部屋を出ていきました。それを見た南泉は
「趙州がいてくれたら私は猫を殺さずに済んだのに」
とひどく残念がりました。
さて、このエピソードは一体何を意味しているのか、というのが公案の問いです。碧巌録(へきがんろく)という公案集に掲載されている話ですが、答えはありません。
私はこの公案の解釈についていろんな本を読みましたが、納得のいく解釈を示している本は一冊もありませんでした。そもそも意味が分からないものが多かった気がします。
いわく、僧たちが争っていたのは「猫に仏性はあるか否か」という論争であり、南泉は「そのように物事を二元論で考えることは愚かである」と戒めるために猫を殺し、趙州は二枚の草履を一つに重ねることで二元論からの脱却を示したのだとか。
いわく、猫は迷妄の象徴であり、南泉がそれを斬ったのは妄念を断ち切らせるためで、趙州が草履を頭に乗せたのは、泥にまみれ人にさげすまれる対象物を頭上に頂くことによって菩薩の道を示したものであるとか。
おそらく公案は、そもそも作者自身、答えを用意していないものかもしれません。臨済宗の僧や、臨済宗を保護した鎌倉幕府の御家人たちは、座禅を組みながらこうした問題を考え、己を高めようとしたのでしょう。
