日本人の物語01685【戦国/東国/長享の乱】長享の乱概観
長期連載しているものは何でもそうだと思うのですが、いま1年目の原稿を読むと「ここは下調べが不十分だな」とか「もっとこう書けば良かった」と思うことだらけです。
本章では、享徳の乱が終結した文明14(1482)年11月27日から、長享の乱が終結する永正2(1505)年3月7日までをまとめます。戦国時代の到来は明応2(1493)年からですが、東国史についてはその年を上手く章の境目にできなかったため、やむなく文明14(1482)年から戦国時代と呼称することとします。もちろん室町幕府はボロボロとなりながらも存在していますので、「室町時代」と「戦国時代」という二つの時代区分が重複する時代といえます。
それにしても室町中期以降の関東は戦乱に次ぐ戦乱で、息をつく暇もありません。まとめると次のとおりです。
○上杉禅秀の乱(1416): 足利持氏VS犬懸上杉禅秀
○永享の乱(1438~1439): 足利持氏VS山内上杉憲実
○結城合戦(1440): 結城氏朝VS山内上杉憲実
○享徳の乱(1454~1483): 足利成氏VS山内上杉+扇谷上杉+越後上杉
・長尾景春の乱(1476~1480): 長尾景春VS山内上杉+扇谷上杉+越後上杉
○長享の乱(1487~1505): 山内上杉VS扇谷上杉
振り返ると、享徳の乱は古河公方と両上杉の戦いでしたが、最も活躍したのは太田道灌でした。道灌のあまりの活躍ぶりに主君・扇谷上杉定正は恐怖を覚え、享徳の乱が終結した直後に道灌を殺害してしまいます。これが次なる戦乱「長享の乱」の呼び水となるのです。
これから解説する長享の乱は、道灌を殺害した扇谷上杉と、道灌殺害に怒った山内上杉との戦いです。しかし裏の主役は伊勢盛時(北条早雲)です。伊勢盛時は当初は扇谷上杉の味方をしておきながら徐々に力を蓄え、やがては堀越公方を滅ぼして関東の最大勢力に成長していくのです。恐らく伊勢盛時には、最初から扇谷上杉への忠誠心などかけらもなかったのでしょうが、この時点では扇谷の家臣のように振る舞っており、ひどく不気味です。
さらに「長享の乱」と並行して、
・今川家の遠江侵攻
・信濃国内の諏方氏VS小笠原氏の内紛
・上野岩松家の内紛
・常陸佐竹家の百年戦争
といったサイドストーリーが多数あり、なかなかに複雑です。特に、享徳の乱をややこしくした長尾景春が未だに健在で、長享の乱の対立構造をさらに複雑化させています。
戦乱が多すぎて、徐々に何のために戦っているのか分からなくなってきますが、それが戦国時代です。複雑な時代ですが、お付き合い願います。
戦国時代について語るとき、「戦う目的」を議論することって少ないですよね。「織田信長と今川義元はなぜ仲良くできなかったのか」というテーマについて考えてみるのも面白いかもしれません。
