日本人の物語00061【神代】古事記と日本書紀
さて、神話のストーリーに入る前に、古事記と日本書紀の違いをお話ししておきましょう。
古事記は全3巻の歴史書で、和銅5(712)年に完成しました。天地初発(てんちしょはつ)から推古朝まで、天皇家の歴史を国民向けに残す趣旨で描いたものといわれています。稗田阿礼(ひえだのあれ)が口頭でそらんじた内容を、太安万侶(おおのやすまろ:?~723)が書き起こしました。
一方、日本書紀は全30巻の歴史書で、養老4(720)年に完成しました。こう書くと、古事記よりずいぶん長いように思われますが、1巻分の分量が少ないので、内容量は古事記の10倍もありません。天地開闢(てんちかいびゃく)から持統朝まで、国家の歴史を国外向けに描いたものといわれています。こちらは舎人親王(とねりしんのう:676~735)が執筆しました。
「天地初発」と「天地開闢」は、ただの表現の違いであって、大した違いはありません。どちらも「天地の始まり」という程度の意味です。
さて、古事記と日本書紀にはどういった違いがあるのでしょうか。
まず、古事記は和文(正確には日本語文法に基づく和文を漢字表記したもの)で書かれているのに対し、日本書紀は漢文(中国語文法に基づく漢文)で書かれています。
古事記は国民向け、といっても庶民にまで読ませるつもりはなかったでしょうが、国の中枢を担う皇族・貴族らに読ませるつもりで書かれたものと考えられます。
一方、日本書紀は中国人に読めるように書かれているので、「日本は公式の歴史書を持つ十分成熟した国である」と中国に対して主張するために作ったものと考えられます。
また、神名の漢字表記が大きく異なります。スサノオは古事記では「須佐之男」、日本書紀では「素戔鳴」と表記されることは前回述べましたね。
次に、ストーリーの細かいところが異なります。例えば、オオクニヌシは古事記では「スサノオの6代孫」と記されていますが、日本書紀では「スサノオの子」と記されています。
さらに、記述の細かさが異なります。神代については古事記の方が細かいのですが、神武天皇~神功皇后くらいまでは同程度の細かさで、応神天皇あたりからは日本書紀の方が細かくなってきます。古事記が神話部分に重点を置いているのに対して、日本書紀は天皇家が始まって以降の歴史に重点を置いているのですね。
神代を解説する本章では、原則として古事記の記述に則ることにしたいと思います。ところどころ日本書紀の記述を参照する際には、その旨を述べた上で引用します。
では始めましょう。まずは、天地が初めて現れるところからです。
