日本人の物語01237【室町/義満期】義満期概観
室町編、スタートです!
早くも義満の時代が室町幕府の最盛期であって、それ以降は凋落するばかりです。
南北朝時代が終わり、狭義の室町時代が始まりました。室町時代は237年続きますが、
・初期の56年間を「南北朝時代」(1336~1392)
・末期の80年間を「戦国時代」(1493~1573)
とも呼びますから、それらを除いた101年間(1392~1493)を「狭義の室町時代」と呼ぶのです。
これまで「初期」「前期」「中期」……といった時代区分を設けてきましたが、ここからは政界の最高責任者ごとに時代を分けていきたいと思います。「義満期」「義持期」「義教期」といった具合です。まずは南北朝合一が果たされた元中9/明徳3(1392)年閏10月5日から、義満が死去する応永15(1408)年5月6日までを「義満期」としてまとめていきます。
この時期には、義満が絶対権力者として君臨します。義満は既に有力守護・山名氏清を葬っていますが、その後さらに今川了俊を左遷し、大内義弘を滅ぼします。義満は当初は細川頼之に全幅の信頼を置いて斯波派を警戒していたものの、頼之の死後は細川派と斯波派のバランスを考慮し、どの守護にも権力が集中しないよう慎重な政権運営を行いました。大内の死と今川の失脚を経た後は、将軍義満に意見できる者はいなくなりました。
さらに義満は幕府内だけでなく公家世界においても絶対権力者となりました。公家たちはこぞって義満の機嫌を取り、義満から諱を賜りました。前述のとおり常盤井宮満仁親王のような皇族が「満」の字をもらったのは異常な出来事ですが、摂関家もまた九条満家(くじょうみついえ:1394~1449)、二条満基(にじょうみつもと:1383~1411)、洞院満季(とういんみつすえ:1390~?)など、積極的に義満から偏諱を受けました。
武家の最高指揮官たる征夷大将軍を経験した者が、その後公家の最高権威たる太政大臣となった例は歴史上義満だけです。まさに公武双方に君臨した権力者といえます。
義満はさらに、皇室を乗っ取ろうとしたとの説もあります。自らの嫡男である義持(よしもち:1386~1428)を4代将軍に据えただけでなく、その弟の義嗣(よしつぐ:1394~1418)を天皇にしようとしたといわれているのです。
この「皇位簒奪計画説」は中世史学者の今谷明(いまたにあきら:1942~)氏が提唱したもので、決して多くの支持を受けている説ではないのですが、有名な話なので本稿では詳しく取り上げていくつもりです。
ただ、義満はその権力が最高潮を迎えたところで急死してしまうため、義満の計画が実行に移されることはありませんでした。
実際に義満が何を考えていたかは推測するほかありませんが、史実とそこから想像できることとをしっかり区別しながら説明していきたいと思います。
