日本人の物語01498【室町/西国/大乱前夜】山名宗全の野望
宗全、60歳になってから勝負に出るんですよね。どんな心境だったのでしょうか。
武衛騒動をめぐり、山名宗全は伊勢貞親を葬ろうと心に決めました。宗全にとって貞親は、同盟者たる斯波義廉を追放した政敵ですし、さらに貞親が娘を赤松に嫁がせている点も見逃せません。宗全は寛正5(1464)年4月10日に幕府が挙行した猿楽の興行で、赤松政則が連れてきた月毛馬を半ば強引に譲らせるなど赤松への嫌がらせを定期的に行っているほど赤松嫌いであり、その赤松を利する行為を平然と行う貞親を許せなかったのでしょう。
しかし宗全が貞親を放逐するに当たって、細川勝元が味方してくれるかどうかは微妙なところです。
宗全と勝元は舅と婿の関係であり、長年に渡って連携してきました。かつては管領・畠山持国に対抗するため手を組み、弥三郎派のクーデターに協力したこともありました。
ところが、加賀守護職をめぐって両者の関係にヒビが入りました。富樫成春VS泰高の対立について、勝元は泰高を支持して成春を追放し、空いた北加賀に赤松政則を入れたのです。長年赤松家と対立してきた宗全はこの人事に納得できず、追放された成春を支援し始めたのでした。「細川勝元・富樫泰高VS山名宗全・富樫成春」という構図の出来上がりです。
さらに斯波家の家督問題についても両者は対立しました。従来から義敏を支援してきた勝元と、義廉に娘を嫁がせる約束をした宗全との間で、「細川勝元・斯波義敏VS山名宗全・斯波義廉」の構図が出来上がりました。
つまり伊勢貞親・細川勝元・山名宗全の三者の関係は、次のようになります。
①北加賀: 貞親=赤松政則支持 勝元=赤松政則支持 宗全=富樫成春支持
②斯波家: 貞親=斯波義敏支持 勝元=斯波義敏支持 宗全=斯波義廉支持
③畠山家: 貞親=特に関心なし 勝元=畠山政長支持 宗全=畠山政長支持
④将軍家: 貞親=足利義尚支持 勝元=足利義視支持 宗全=足利義視支持
伊勢貞親は義尚の養育係として、当然義尚の早期将軍就任を願っています。一方、勝元は義視の後見人ですから、その将軍就任の準備をしています。宗全は貞親への反感から義視を支持しています。
まとめると、伊勢貞親と山名宗全が最も深刻な対立をきたしており、細川勝元はその中間に位置している構図となります。よって貞親を排除したい宗全としては、
・勝元を味方に引き込み、共謀して貞親を排除する
・勝元と貞親をまとめて排除する
という二つの選択肢があるわけです。前者が無難な線ですが、後者となると敵が増えすぎるため、新たに味方を引き込む必要があります。そこで宗全が目をつけたのが畠山義就でした。
元々、宗全は畠山弥三郎を支援しており、その縁から弥三郎の弟・政長を支持していたわけですが、さほどのこだわりはなかったのでしょう。もし自分が態度を変更して義就を味方につければ、勝元にも勝てると宗全は考えたのでしょう。
宗全がこの危険な賭けに乗り出し、徐々に義就を支援するようになります。
やっと応仁の乱の対立構造が出そろった感があります。
