見出し画像

日本人の物語01409【信広渡海】安藤氏の歴史 南部氏来襲

安藤氏を主人公にして歴史を描いているので、南部氏の「来襲」となるのですが、南部氏を主人公にした場合は「進出」となるのでしょうね。

 幕府の命に応じて出羽を平定した安藤氏(安東氏)は一目置かれるようになり、この頃朝廷から「日乃本将軍(ひのもとしょうぐん)」という称号をもらいました。兄・盛季の下国安藤氏も弟・鹿季の上国安東氏も、交易によって大いに繁栄しました。
 しかし安藤氏の立場は決して安泰ではありません。かつて安藤師季によって根城を追放された南部氏はその恨みを忘れていなかったのです。
 南部氏は根城を拠点とする「八戸南部氏」と、三戸(青森県三戸町)を拠点とする「三戸南部氏」に分かれていますが、今回敵となったのは三戸南部氏の方です。三戸南部氏の当主である南部守行(なんぶもりゆき:?~1437)は、先祖同士の因縁に決着をつけるべく秋田湊に攻め込みました。応永18(1411)年、南部守行と刈和野(秋田県大仙市)で戦った安東鹿季は敗北を喫します。
 南部氏の勢いはやみません。応永27(1420)年8月には下国安藤氏のもとにも攻め込んできました。
 これを迎え討ったのは安藤盛季の子・安藤康季(あんどうやすすえ)でした。しかし南部守行・義政(よしまさ:1374~1440)父子の率いる騎馬軍は強く、康季の藤崎城と大光寺城(青森県平川市)はたちまち陥落してしまいました。
 勝手な戦を始めた南部氏に対して室町幕府からの牽制があったことから、南部氏はそれ以上の侵攻は諦めました。しかし、チャンスさえあれば安藤氏を倒し、交易の権益を狙おうという南部氏の意図は明らかでした。
 応永30(1423)年。安藤盛季・康季父子は5代将軍足利義量に馬30頭を献上し、「陸奥守」に任じられています。幕府にすがることで南部氏の侵略から守ってもらおうと必死なようです。
 それから9年後に南部氏の野望がまたまた火を噴きました。永享4(1432)年夏、南部守行・義政父子が安藤盛季・康季父子の本拠地である十三湊の福島城を陥落させたのです。安藤康季は命からがら柴崎城(青森県中泊町)に逃亡しました。
 南部氏のこの行動に、6代将軍義教は激怒しました。10月20日には畠山・赤松・山名に南部討伐を命じたほどです。安藤氏は馬30頭を献上しておいた甲斐がありました。
 南部守行は慌てて
「安藤康季の妹と結婚する」
と表明して安藤氏と和睦し、どうにか幕府に許してもらうことができました。こうして幕府の介入によって南部氏の侵攻を退けた安藤盛季・康季父子は、再び十三湊の福島城に戻ることができました。とはいえ、力ではもはや南部氏に敵わないようです。

このあたりの歴史、十三湊の博物館の展示を見てから書きたかったです。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集